イクケン左賢王単于とは? わかりやすく解説

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イクケン左賢王単于

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 01:21 UTC 版)

薁鞬左賢王 単于(いくけんさけんおう ぜんう、拼音:Yùjiānzuŏxiánwáng Chányú、? - 50年)は、中国後漢時代の南匈奴の対立単于。呼都而尸道皋若鞮単于の子で、蒲奴の弟。もと北匈奴の薁鞬[1]左賢王だったため、薁鞬左賢王単于と呼ばれる。姓は攣鞮氏、名は不明。




  1. ^ 内田吟風氏は『北アジア史研究 匈奴篇』において、“薁鞬(いくけん)”は後の柔然突厥などに見られるイルキン(irkin)の漢字訳ではないかとしている。


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