蕭討古とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 蕭討古の意味・解説 

蕭討古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/08 09:36 UTC 版)

蕭討古(しょう とうこ、? - 982年)は、(契丹)の軍人は括寧。

経歴

蕭敵魯の孫で、蕭幹の甥にあたる。応暦初年、はじめて出仕した。冀王耶律敵烈と宣徽使耶律海思が反乱を計画すると、討古は耶律阿列とともに計画を穆宗に密告した。穆宗は討古の忠義を喜んで、朴謹公主を妻として与えた。保寧末年、南京統軍使となった。

乾亨元年(979年)、北宋燕雲十六州に進攻すると、討古は北院大王耶律奚底とともに沙河で宋軍と戦い、敗走した。討古は再び戦おうとせず、清河の北に退いて駐屯した。景宗は討古の敗戦を聞くと、使者を派遣して「卿らは偵察をおこたり、用兵に法なく、敵に遭遇するとすぐ敗れるとは、将軍といえるのか」と責めた。討古は失脚を恐れて、高梁河の戦いでは奮戦して宋軍を撃破した。景宗は敗戦の罪を許し、南京侍衛親軍都指揮使に降格させるにとどめた。乾亨4年(982年)、死去した。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蕭討古」の関連用語

1
38% |||||

2
32% |||||

3
18% |||||

4
12% |||||

蕭討古のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蕭討古のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蕭討古 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS