蓮慶寺_(大和市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 蓮慶寺_(大和市)の意味・解説 

蓮慶寺 (大和市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/05 04:09 UTC 版)

蓮慶寺れんけいじ
本堂
所在地 神奈川県大和市福田1279
位置 北緯35度25分36秒 東経139度27分26秒 / 北緯35.42667度 東経139.45722度 / 35.42667; 139.45722座標: 北緯35度25分36秒 東経139度27分26秒 / 北緯35.42667度 東経139.45722度 / 35.42667; 139.45722
山号 福田山
宗旨 真言宗[1]
宗派 真言宗大覚寺派
本尊 不動明王
創建年 1592年(文禄元年)
開山 教誉[1]
開基 関水対馬[1]
法人番号 9021005004901
蓮慶寺
蓮慶寺 (神奈川県)
テンプレートを表示
山門

蓮慶寺(れんけいじ)は、神奈川県大和市福田に所在する真言宗大覚寺派の寺院。

概要

同寺には、室町時代後期の作で子育ての姥として信仰される「木造優婆尊尼像」が伝わっている[2]大和市指定有形文化財にも同寺の記載がある。

伝承

福田開拓九人衆[注釈 1]の一人で、修験者とも医者ともいわれる小林大玄は、諸国を出歩き、やがて帰宅しなくなった。大玄の妻・イトはこれを悲しみ、山に籠って村人に危害を加えるようになる。困った村人は花見の宴を催してイトに毒酒を飲ませ、亡き者としたが、やがてイトの怨霊に悩まされるようになる。そこでイトの霊を慰めるため村人は鎌倉建長寺から姥像を勧請し、一堂を建立してこれを安置したと伝えられる。その後この像は子供の百日咳などに霊験あらたかであるとして崇敬されるようになった[4]

脚注

注釈

  1. ^ 新編相模国風土記稿』に「大永の頃土人九人相謀て開發せしなりと云」とある[3]

出典

参考文献

  • 「澁谷庄 福田村」『大日本地誌大系』 第38巻新編相模国風土記稿3巻之63村里部高座郡巻之5、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179219/161 
  • 「澁谷庄 福田村 蓮慶寺」『大日本地誌大系』 第38巻新編相模国風土記稿3巻之63村里部高座郡巻之5、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179219/162 

外部リンク

  • 市内の文化財”. 大和市. 2021年10月17日閲覧。
  • 福田の起源”. 大和市立下福田小学校 (2007年8月9日). 2021年10月17日閲覧。 - 福田開拓九人衆について記述あり



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蓮慶寺_(大和市)」の関連用語

蓮慶寺_(大和市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蓮慶寺_(大和市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蓮慶寺 (大和市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS