落ち延びた尾張梶原氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 06:04 UTC 版)
景時一族は滅亡したが、難を逃れた少数の梶原一族が尾張国羽黒の地へ辿り着いた。駿河国で討死した景時二男景高の嫡子豊丸(三歳)とその乳母及び供衆たちや三男景茂の玄孫である。 当地は豊丸の乳母である隅の方の故郷であった。甲斐国、信濃国、美濃国の東山道方面を経て到着したため、景時一行が辿った東海道方面とは別路を辿ったとされる。豊丸は元服して「梶原平九郎景親」と名乗り、屋敷を構えた。これが現在隣接する地に所在する興禅寺となる。
※この「落ち延びた尾張梶原氏」の解説は、「羽黒城」の解説の一部です。
「落ち延びた尾張梶原氏」を含む「羽黒城」の記事については、「羽黒城」の概要を参照ください。
- 落ち延びた尾張梶原氏のページへのリンク