草鞋の五藤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:55 UTC 版)
金ヶ崎の戦いで、朝倉家の家臣三段崎勘右衛門が放った矢が一豊の頬を射抜き、五藤吉兵衛が一豊の顔を踏んで抜いたという話があるが、その矢の矢じりは現存し、安芸市の歴史民俗資料館に展示されている。その時吉兵衛がはいていたとされるわらじも同資料館にある。
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