英宗の帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 06:31 UTC 版)
英宗の帰国によって微妙な立場に立たされた景泰帝は、英宗に「己を罪する詔勅」の起草を求め、また帰還後の英宗を南宮(崇質宮)に幽閉させた。1457年(景泰8年)正月、景泰帝が病床につくと武清侯石亨・太監曹吉祥及び左副都御史徐有貞等による政変が発生、英宗は復辟し天順と改元した。景泰帝が崩御すると、彼を擁立した于謙及び王文は処刑された(「奪門の変」)。
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