苫小牧市立弥生中学校
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苫小牧市立弥生中学校 | |
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北緯42度37分45.736秒 東経141度35分01.653秒 / 北緯42.62937111度 東経141.58379250度座標: 北緯42度37分45.736秒 東経141度35分01.653秒 / 北緯42.62937111度 東経141.58379250度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 苫小牧市 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)6月3日 |
開校記念日 | 6月3日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒053-0802 |
北海道苫小牧市弥生町1丁目9-11
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外部リンク | 苫小牧市立弥生中学校 |
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苫小牧市立弥生中学校(とまこまいしりつ やよいちゅうがっこう)は、北海道苫小牧市弥生町1丁目にかつて存在した公立中学校。
概要
苫小牧町立西中学校として開校
戦後の教育改革により6・3・3・4の新学制が確立し、1947年(昭和22年)4月には旧国民学校初等科卒業生、高等科1、2年を修業した生徒は新制中学校へ進むことになった。だが、制度が決定しただけで、まだ中学校が設置されておらず、行き場のない生徒たちは元の小学校に集まり、身分も教科書もないまま、仮教室で授業が続けられた[2][3]。
1947年(昭和22年)5月27日の町議会で本校の設置が提出され、5月1日にさかのぼって、苫小牧町立西中学校、錦岡分教場、樽前分教場が東中学校と共に設置された。1947年(昭和22年)6月3日、9学級、441名をもって西小学校体育館において開校式と入学式を行い、新しい学校としてスタートした。しかし、当初は独立した校舎はなく、西小学校、苫小牧高等女学校(現・西高校)、苫小牧青年学校の一部を借用した[2][3]。
1948年(昭和23年)4月1日、市政施行により苫小牧市立西中学校に改称。同年8月、校章を設定、1949年(昭和24年)2月には校歌が完成した[3]。
弥生中学校への改称と校舎の落成
同校の新設予定地には第1候補に弥生町、第2候補に山手町があげられていたが、教職員、父兄の弥生町設置の強い要望、弥生という名は不断の進歩、たえざる改造の学校精神に合しているなどから、敷地の正式決定のないまま苫小牧市立弥生中学校と改称した[3]。
1949年(昭和29年)6月28日、第1期工事の木造2階建て校舎が落成。翌年5月に第2期工事、12月には第3期工事の木造体育館が完成した[3]。
分校の独立と校区の分離
1949年(昭和24年) 4月1日錦岡分校が錦岡中学校として独立[4]。1951年(昭和26年) 4月1日樽前分校が樽前中学校として独立した[5]。1956年(昭和31年)10月1日、両校は統合し、凌雲中学校となった[4]。
1961年(昭和36年)4月特殊学級山なみ学園を西小学校内に開設[3][6]。
1962年(昭和37年)に苫小牧市西地区の発展から、啓北中学校、光洋中学校が新設され、両校に生徒を分離。ただ、光洋中学校は校舎が落成しておらず、当校の一部を仮校舎として開校し、同年7月に移転した[3]。
1964年(昭和39年)4月に苫小牧工業高等専門学校が仮校舎として開校し、1965年(昭和40年)4月1日、現在地に移転した[3][7]。
1966年(昭和41年)4月、山なみ学園は山手町(現・松風町)に独立校舎を新設し分離。啓北中学校に移管された[6]。
閉校
2011年1月、2012年度で廃校となることが決まった。校区は2013年度から東中学校、光洋中学校に統合されることとなった[8]。
1988年度ごろまでは生徒数500~600人、20~24学級で推移したものの、少子化と人口の移動で2010年度は118人、4学級まで減り、市教委は2022年度まで、100~120人、3~5学級で推移すると予測。校舎の老朽化も課題になっていた。市教委は学校規模適正化基本方針を策定しており、中学校は8学級以下が続く見通しの場合、校舎改築が必要になる時機に適正化を図るとしていた[8]。
2013年2月23日、閉校式典を当校体育館で開催。在校生、卒業生、元教職員など約500人が出席した[9]。3月13日、第66回卒業証書授与式を開き、最後の3年生44人の門出を祝した。卒業生の数は66年で1万3692人となった[10]。3月22日、66年の歴史で最後となる修了式を実施した[11]。
沿革
出典:[12]
- 1947年(昭和22年)6月3日 - 苫小牧町立西中学校として開校、錦岡・樽前分校併設
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 市政施行により苫小牧市立西中学校に改称[3]
- 8月26日 - 校章決定
- 9月 4日 - 苫小牧市立弥生中学校に改称
- 1949年(昭和24年)
- 2月21日 - 校歌完成
- 4月1日 - 錦岡分校、錦岡中学校として独立[4]
- 6月28日 - 木造校舎一棟増築(12教室)
- 1950年(昭和25年)
- 5月10日 - 木造校舎一棟増築(8教室、3管理室)
- 12月22日 - 体育館落成
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 樽前分校、樽前中学校として独立[5]
- 1954年(昭和29年)10月10日 - 特別教室増築
- 1959年(昭和34年)11月10日 - 第3棟階上落成、体育館更衣室付設
- 1962年(昭和37年)
- 1964年(昭和39年)4月 - 国立苫小牧工業高等専門学校が当校を仮校舎として開校[3]
- 1968年(昭和43年)5月5日 - 苫小牧市小中学校で給食開始
- 1973年(昭和48年)8月13日 - 全国サッカー大会出場
- 1975年(昭和54年)4月1日 - 肢体不自由児学級設置
- 1990年(平成2年)4月1日 - 知的・情緒学級設置
- 1994年(平成6年)8月20日 - 全国ソフトテニス大会出場
- 1996年(平成8年)9月21日 - サハリン大学学生国際交流で来校
- 1999年(平成11年)10月27日 - グラウンドフェンス完成
- 2000年(平成12年)3月3日 - 新校舎(鉄筋コンクリート3階建て)落成
- 2007年(平成19年)8月25日 - 教育研究実践校表彰
- 2008年(平成20年)2月1日 - 全国スケート大会(長野市)出場
- 2013年(平成25年)
通学区域
出典:[14]
周辺
- 苫小牧市立苫小牧西小学校
- 苫小牧弥生郵便局[16]
- 苫小牧市屋内ゲートボール場(現・アブロス矢代スポーツセンター[17])
- 苫小牧日翔病院
アクセス
著名な出身者
- 間野直樹 - 元アイスホッケー選手
脚注
注釈
出典
- ^ “平成24年度 学校行事等の期日予定一覧”. www.city.tomakomai.hokkaido.jp. 2025年6月5日閲覧。
- ^ a b 苫小牧市 1976, pp. 283–293.
- ^ a b c d e f g h i j k l 苫小牧市 1976, pp. 431–434.
- ^ a b c 苫小牧市 1976, pp. 437–440.
- ^ a b 苫小牧市 1976, pp. 386–391.
- ^ a b 苫小牧市 1976, pp. 460–461.
- ^ 『苫小牧市史 下巻』苫小牧市、1976年、534-538頁。
- ^ a b “苫小牧弥生中を2012年度で廃校:苫小牧民報社”. www.tomamin.co.jp. 2025年6月7日閲覧。
- ^ “66年の歴史に幕 苫小牧弥生中学校で閉校式:苫小牧民報社”. www.tomamin.co.jp. 2025年6月7日閲覧。
- ^ a b “>弥生中では最後の卒業生の門出を祝福 苫小牧の14中学校で卒業式:苫小牧民報社”. www.tomamin.co.jp. 2025年6月7日閲覧。
- ^ a b “弥生中では生徒が最後の登校 苫小牧の小中学校で一斉に修了式:苫小牧民報社”. www.tomamin.co.jp. 2025年6月7日閲覧。
- ^ “学校概要/旧苫小牧市立弥生中学校”. www.city.tomakomai.hokkaido.jp. 2025年6月5日閲覧。
- ^ “苫小牧市立弥生中学校”. www.city.tomakomai.hokkaido.jp. 2025年6月8日閲覧。
- ^ “学校別通学区域一覧表”. 2012年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月5日閲覧。
- ^ a b “学校別通学区域一覧表(平成25年度)”. 2013年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月7日閲覧。
- ^ “苫小牧弥生郵便局”. 2025年6月8日閲覧。
- ^ “アブロス矢代スポーツセンター|北海道苫小牧市”. www.city.tomakomai.hokkaido.jp. 2025年6月6日閲覧。
- ^ “苫小牧市立弥生中学校”. www.city.tomakomai.hokkaido.jp. 2025年6月7日閲覧。
参考文献
外部リンク
- 苫小牧市立弥生中学校のページへのリンク