自当とは? わかりやすく解説

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自当

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/19 08:55 UTC 版)

自当(じとう、? - 1368年)は、大元ウルスに仕えた将軍の一人。主に元末の混乱期に紅巾の乱討伐で功績を残した事で知られる。

概要

自当はシデバラ(英宗ゲゲーン・カアン)の治世(1320年代初頭)に、親衛隊(ケシクテイ)のスクルチ(傘持ち)より監察御史に抜擢された人物であった。ある時大興県で死罪とされた囚人が冤罪であると主張するも判決を覆せず、後になって遼陽行省で真犯人が捕まえられるという事件があり、人々はみな自当の明晰さに感服したという[1]

1325年(泰定2年)に泰定帝イェスン・テムル・カアン大都(冬の都)から上都(夏の都)に移動するさ中、参知政事の楊庭玉を弾劾するも受け入れられなかったため、自当は官印を返却して大都に帰ろうとした。そこでイェスン・テムル・カアンは使者を派遣して自当を呼び戻し、自当は元の地位に復して楊庭玉の弾劾も認められた。また、イェスン・テムル・カアンのケシクテイに入ろうとしていた平章政事のトゥメンデルもゲゲーン・カアンの暗殺事件(南坡の変)に関与していたはずであると弾劾したが認められず、かえってトゥメンデルに黄金繋腰が下賜されたのを知って自当は職を辞した。その後、工部員外郎の地位を与えられて混河の改修を命じられたが、成功は難しいと率直に報告したため、改修は取りやめになったという[2]

またイェスン・テムル・カアンの三皇后が死去した時、工部に現在の行殿車帳を撤去して新たなものを作るよう命じられたが、自当はいたずらに資材を無駄にするものであるとして反対した。イェスン・テムル・カアンも自当の意見の正しさを認め、「国家が人を用いる際には、自当のような者を選ぶべきであろう」と述べたという。またある時、イェスン・テムル・カアンが太后のブヤンケルミシュに「太皇太后」の称号を加えようとすると、自当のみ「かつてゲゲーン・カアンが祖母のダギに太皇太后の称号を加えたことがあるが、それはゲゲーン・カアンがその孫であったからです。今上が母親に太皇太后の称号を加えるのは典礼に合致しません」と反対したことから中止になったという。その後、中書客省使、ついで同僉宣政院事の地位に遷った[3]

イェスン・テムル・カアンの死後帝位をめぐって内戦が起こった(天暦の内乱)が、最終的にトク・テムル(文宗ジャヤガトゥ・カアン)が勝利をおさめ、自当はジャヤガトゥ・カアンより中書左司郎中に任じられた。このころ、江浙地方でジャヤガトゥ・カアンに対して不敬な言動を取る者がいたとの報告があり、怒ったカアンはその者たちを誅殺しようとしたが、自当は雲南・四川で未だ内戦が続く中で行省の大臣を殺しては今後の政権運営に支障が出るだろうとしやめさせている。また、エル・テムルが側近のバヤンを封じて王爵を授けようとしたときも、反対してやめせさせている[4]

またこれより以前、即位前のジャヤガトゥ・カアンが集慶に住んでいたころ、天霊寺を建てようとして叶わなかったことがあり、このころ改めて天霊寺建立のため民夫を募ろうとした。しかし、江南行台監察御史のイキレテイ(亦乞剌台)が反対意見を述べたため、ジャヤガトゥ・カアンは江南行台監察御史を廃止してイキレテイを取り除こうとした。これを聞いた自当はジャヤガトゥ・カアンを諌めてやめさせ、イキレテイは僉湖南粛政廉訪司事に転任することとなったという。その後、自当は陝西行台侍御史に転任となった[5]

その後、トゴン・テムル(順帝ウカアト・カアン)が即位すると、福建都転運塩使に任じられた。かつて、イェスン・テムル・カアンが河間・江浙・福建の塩引6万を中書参議の撒迪に下賜しようとしたが、自当がこれに反対して福建の塩引2万のみの下賜に変更されることがあった。このころ、撒迪は御史大夫の地位にあったが、かつての自当の決定に恨みを抱いており、自当が京師にいられなくなるように図ったという[6]

その後、自当は母の死にともなって一時官職を退いていたが、やがて浙西粛政廉訪使として復帰した。このころ、駙馬(皇族の女性=公主を娶った者)が江浙行省丞相となり、公主の権勢を後ろ盾に杭州ダルガチとして民を苦しめていた。事情を知った自当は公主の権勢を無視してこれを逮捕してしまったため、丞相府の者が民を虐げることはなくなったという。その後、同僉枢密院事・治書侍御史・同知経筵事などを歴任している。またこのころ、寧夏に住まう者が太師のバヤンを謀殺しようとしているとの告発を行ったため、自当 (御史台) と中書省・枢密院の官員の3名が寧夏に赴いて調査を赴くこととなった。自当らは現地調査の結果偽りの告発であると結論付けたが、バヤンはこの結果に不満を抱いて怒った。しかし自当は御史台・中書省・枢密院の3名が判断を行うのは国法の定めるところであると述べて譲らす、ついにはバヤンによって同知徽政院事に左遷されてしまった[7]

自当は4人の皇帝に仕える中で終始節を通したがため、権勢家からは遠ざけられて重用されなかったことを、君子はみな惜しんだという[8]

脚注

  1. ^ 『元史』巻143列伝30自当伝,「自当、蒙古人也。英宗時、由速古児赤擢監察御史。録囚大興県、有以冤事繋獄者、其人嘗見有橐駝死道傍、因舁至其家醢之、置数甕中、会官橐駝被盗、捕索甚亟、乃執而勘之、其人自誣服。自当審其獄辞、疑為冤、即以上御史台。台臣以為贓既具是、特御史畏殺人耳、不聴、改委他御史讞之、竟処死。後数日、遼陽行省以獲盗聞、冤始白、人以是服其明」
  2. ^ 『元史』巻143列伝30自当伝,「泰定二年、扈従至上都、糾言参知政事楊庭玉贓罪、不報、即納印還京師。帝遣使追之、俾復任。即再上章劾庭玉、竟如其言。又劾奏平章政事禿満迭児入怯薛之日、英宗被弑、必預聞其謀、不省、乃賜禿満迭児黄金繋腰、自当遂辞職。改工部員外郎、中書省委開混河、自当往視之、以為水性不常、民力亦瘁、難以成功、言于朝、河役乃罷」
  3. ^ 『元史』巻143列伝30自当伝,「会次三皇后殂、命工部撤行殿車帳、皆新作之。自当未即興工。尚書曰『此奉特旨、員外有誤、則罪帰於衆矣』。自当曰『即有罪、我独任之』。未幾、帝果問成否。省臣乃召自当責問之。自当請自入対。既見帝、奏曰『皇后行殿車帳尚新、若改作之、恐労民費財。且先皇后無悪疾、居之何嫌。必欲捨旧更新、則大明殿乃自世祖所御、列聖嗣位豈皆改作乎』。帝大悦、語省臣曰『国家用人、当択如自当者、庶不誤大事』。特賜上尊・金幣、遷吏部員外郎。帝欲加号太后曰太皇太后、命朝堂議之。自当独曰『太后称太皇太后、于典礼不合』。衆皆曰『英宗何以加皇太后号曰太皇太后』。自当曰『英宗孫也、今上子也、太皇太后之号孫可以称之、子不可以称之也』。議遂定。遷中書客省使、俄改同僉宣政院事」
  4. ^ 『元史』巻143列伝30自当伝,「文宗即位、除中書左司郎中。有使持詔自江浙還、言行省臣意若有不服者。帝怒、命遣使問不敬状、将悉誅之。自当言於丞相燕帖木児曰『皇帝新即位、雲南・四川且猶未定、乃以使臣一言殺行省大臣、恐非盛徳事。況江浙豪奢之地、使臣或不得厭其所需則造言以陥之耳』。燕帖木児以言于帝、事乃止。既而陞参議中書省事。燕帖木児議封太保伯顔王爵、衆論附之。自当独不言。燕帖木児問故。自当曰『太保位列三公、而復加王封、後再有大功将何以処之。且丞相封王、出自上意、今欲加太保王封、丞相宜請于上。王爵非中書選法也』。遂罷其議。拝治書侍御史」
  5. ^ 『元史』巻143列伝30自当伝,「初、文宗在集慶潜邸、欲創天霊寺、令有司起民夫。江南行台監察御史亦乞剌台言曰『太子為好事、宜出銭募夫、若欲役民、則朝廷聞之非便也』。至是文宗悉召江南行台監察御史、俾皆入為監察御史、而欲黜亦乞剌台。自当諌曰『当陛下在潜邸時、御史尽心為陛下言、乃忠臣也。今無罪而黜之、非所以示天下』。乃除亦乞剌台僉憲湖南。文宗嘗欲游西湖、自当諌曰『陛下以万乗之尊而汎舟自楽、如天下何』。不聴。自当遂称疾不従行。文宗在舟中、顧謂台臣曰『自当終不満朕此游耶』。台臣嘗奏除目、文宗以筆塗一人姓名、而綴将作院官閭閭之名。自当言『閭閭為人詼諧、惟可任教坊司、若以居風紀、則台綱掃地矣』。文宗乃止。已而出為陝西行台侍御史」
  6. ^ 『元史』巻143列伝30自当伝,「順帝初、除福建都転運塩使。先是、自当為左司郎中時、泰定帝嘗欲以河間・江浙・福建塩引六万賜中書参議撒迪、自当執不可、僅以福建塩引二万賜之。至是、自当復建言塩引宜尽資国用以紓民力。時撒迪方為御史大夫、不以為怨、数遣人省自当母于京師所居」
  7. ^ 『元史』巻143列伝30自当伝,「既而丁母憂、居閒久之、復起為浙西粛政廉訪使。時有以駙馬為江浙行省丞相者、其宦豎恃公主勢、坐杭州達魯花赤位、令有司強買民間物、不従輒殴之。有司来白自当、自当即逮之械以令衆、自是丞相府無敢為民害者。尋召為同僉枢密院事。尋復為治書侍御史・同知経筵事。寧夏人有告買買等謀害太師伯顔者、伯顔委自当与中書・枢密等官往寧夏鞫問、無其情、乃以誣罔坐告者罪。伯顔怒。自当前曰『太師所以令吾三人勘之者、以国法所在也。必以罪吾三人、則自当実主其事、宜独当之』。伯顔乃左遷自当同知徽政院事」
  8. ^ 『元史』巻143列伝30自当伝,「自当歴事四朝、官自従仕郎累転至通奉大夫、常衎衎在位、剛介弗回、終始一節、有古遺直之風。然卒以是忤権貴而不復柄用、君子皆惜焉」

参考文献




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