脇田赤峰とは? わかりやすく解説

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脇田赤峰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/19 10:10 UTC 版)

脇田 赤峰(わきた せきほう、生年不詳 - 文化5年12月19日1809年2月3日))は、江戸時代中期から後期の書家。名は順。字は和卿。通称は郷右衛門。赤峰は[1]

経歴

生まれは不明だが、江戸に住む。松下烏石に書を学んだ。主に寛政から文化年間(1789年から1817年)に活動した。作品としては、寛政5年(1793年)に揮毫した渋谷区龍巌寺松尾芭蕉の句碑や、文政14年(1817年)に著した『草書法要』(出版は須原屋伊八で、須原屋茂兵衛暖簾分け)などがある[2]

文化5年(1809年)没。墓所は六本木なだれ坂真宗大谷派円林寺にあり[3]、正面に「赤峰先生之墓」とあるほかに刻みはない。

脚注

  1. ^ コトバンク 脇田赤峰
  2. ^ 大東文化大学 ギャラリー解説
  3. ^ 真宗大谷派東京教区 暮らしにじぃーん 圓林寺



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