脇田赤峰
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脇田 赤峰(わきた せきほう、生年不詳 - 文化5年12月19日(1809年2月3日))は、江戸時代中期から後期の書家。名は順。字は和卿。通称は郷右衛門。赤峰は号[1]。
経歴
生まれは不明だが、江戸に住む。松下烏石に書を学んだ。主に寛政から文化年間(1789年から1817年)に活動した。作品としては、寛政5年(1793年)に揮毫した渋谷区の龍巌寺の松尾芭蕉の句碑や、文政14年(1817年)に著した『草書法要』(出版は須原屋伊八で、須原屋茂兵衛の暖簾分け)などがある[2]。
文化5年(1809年)没。墓所は六本木なだれ坂の真宗大谷派円林寺にあり[3]、正面に「赤峰先生之墓」とあるほかに刻みはない。
脚注
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