青木勝之助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/01 16:49 UTC 版)
青木 勝之助(あおき かつのすけ、1832年8月30日(天保3年8月5日) - 1905年(明治38年)4月10日)は明治時代の浪花節語り。生まれははっきりしないが、一説には武蔵国(現・神奈川県)生まれ。ヒラキから寄席に最初に進出した功労者。後に美弘舎東一(びこうしゃ とういち)と改名。玉川勝太郎から、今の玉川奈々福、玉川太福等に連なる玉川一派の開祖でもある。
- ^ 倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』p.117
- 1 青木勝之助とは
- 2 青木勝之助の概要
Weblioに収録されているすべての辞書から青木勝之助を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から青木勝之助を検索
- 青木勝之助のページへのリンク