細川吉次郎とは? わかりやすく解説

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細川吉次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 04:01 UTC 版)

細川 吉次郎(ほそかわ きちじろう、1861年10月6日〈文久元年9月3日[1][2][注釈 1]〉 - 1924年大正13年〉5月25日[2][3][4])は、明治から大正時代の政治家蚕種業者。長野県小県郡城下村長、上田市長。

経歴

信濃国小県郡諏訪形村[5](現・上田市諏訪形)で吉兵衛の二男として生まれた[1]。生家は代々庄屋を務め酒造業などを営んでいた[2]。松平(しょうへい)学校を卒業[3]。家業の酒造業から蚕種製造業に転じ、1873年(明治6年)上田初の製糸場を設立する[1][5]。その後、蚕種製造のみとし小県郡蚕種検査所主事を務めた[1]。ついで、1890年(明治23年)城下村会議員に選ばれ[1][2]1893年(明治26年)同村長に就任し[1][2][3]、小学校の増築や高等科新設などに尽力した[2][5]

1897年(明治30年)小県郡会議員となり郡参事会員も務めた[1]1899年(明治32年)から長野県会議員を3期務め[1][2]、県農会副会長、蚕種同業組合副組合長などを兼任する[5]1914年(大正3年)上田町長に推挙され就任し、1919年(大正8年)城下村と合併し上田市が成立すると同市長に就任した[1][2][3][5]上水道の整備、市有林の造成、公会堂の新築などに尽力したが、病のため在職中に死去[1][2][3][5]。市葬が執り行われた[2]

脚注

注釈

  1. ^ 『日本の歴代市長 第2巻』254頁では文久3年。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 『信州人物誌』439頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『明日をひらいた上田の人びと』206-207頁。
  3. ^ a b c d e 『日本の歴代市長 第2巻』254頁。
  4. ^ 赤羽ほか 1989, 807頁.
  5. ^ a b c d e f 赤羽ほか 1989, 623頁.

参考文献

  • 田島清編『信州人物誌』信州人物誌刊行会、1969年。
  • 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
  • 赤羽篤ほか 編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。ISBN 4876631263 
  • 『上田市誌 人物編:明日をひらいた上田の人びと』上田市、2003年。





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