第8軍によるガザラ・ラインの構築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:08 UTC 版)
「ガザラの戦い」の記事における「第8軍によるガザラ・ラインの構築」の解説
ガザラとトミミ(トブルクの西隣)の間にイギリス第8軍は反撃を行うに十分な戦力を集中した。これにより、2月4日にロンメルの進撃は停止した。ガザラ(トブルクの西(30 mi (48 km))の海岸から南へ50 mi (80 km)伸びたビル・ハケイムまでの間に前線が形成された。 イギリス軍はボックス陣地をガザラから南方に連ね、ボックス陣地間を間断なく哨戒し防衛を固めていた。自由フランス軍部隊はこの南端ビル・ハケイムに配備された。また、他のボックスも互いに異なった国の部隊が配備され、海岸から南へ防衛線を構築していた。
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