立藩と交代寄合化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 09:54 UTC 版)
寛文3年(1663年)、政直に対して播磨国内(神東郡・神西郡・印南郡)1万石が新たに与えられ、福本藩が立藩した。 寛文5年(1665年)、政直は嗣子なく没した。遺領は政直の弟である政武(7000石)と政済(3000石)が分割相続し、2つの旗本家となった。このうち福本7000石の領主となった政武は、交代寄合の格式となった。貞享4年(1687年)に政武が没すると、嗣子の政森(6000石)と次男の政親(1000石)によって分割された。以後、3家とも明治維新まで存続した。 7代喜通は安政2年(1855年)藩校「乾々館(けいけいかん)」を開いた。
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