種市城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 種市城の意味・解説 

種市城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/20 00:20 UTC 版)

種市城(平城・山城)
岩手県
城郭構造 居館・山城
天守構造 なし
築城主 種市氏
築城年 不明
主な城主 種市中務
廃城年 1592年(天正20年)
遺構 曲輪、堀
指定文化財 史跡等未指定[1]
位置 北緯40度23分39.5秒 東経141度38分12.5秒 / 北緯40.394306度 東経141.636806度 / 40.394306; 141.636806座標: 北緯40度23分39.5秒 東経141度38分12.5秒 / 北緯40.394306度 東経141.636806度 / 40.394306; 141.636806
※座標は平城の地点
地図
種市城
テンプレートを表示
1.平城、2.山城

種市城(たねいちじょう)は、岩手県九戸郡洋野町(旧・種市町)に所在した戦国時代種市氏居城。同町城内(じょうない)のほぼ中心部に位置し、平時の居館とみられる平城(へいじょう)と[2]、そこから約1キロメートル南西にあり戦時に使用したとみられる山城(やましろ)の2城が存在した[3][4]

概要

平城

城内地区は当時の種市の中心集落で、川尻川に北面した高台にあり、旧字名は「館」。平城跡はそのまま集落となっている。館の東側から集落内に通じる坂道は、館坂と呼ばれ八戸へ通じる街道の起点であった。現在は堀跡が道路となっているがほとんど市街地化し、地表上の遺構は残っていない[5]

山城

山城跡は、館から南西1キロメートル、比高50メートルの丘陵上に位置し、平場(曲輪)と空堀が残る[6]

歴史

種市氏は一戸南部氏の分流とも、工藤氏の末裔ともいわれ、九戸政実の乱に際し、種市伝左衛門が九戸籠城に加わったが、当主の種市中務(なかつかさ、は不明[7])は南部氏側に属し、城攻めに参陣していた。

天正20年(1592年)の『諸城破却書上』には「糠部郡之内 種市 山城破 久慈孫三郎持分」とあり、廃城となった。

脚注

  1. ^ 「洋野ヒストリアデジタルアーカイブ」洋野町公式HP
  2. ^ 「平城があった現在の城内地区」洋野ヒストリアデジタルアーカイブ・洋野町公式HP
  3. ^ 「種市城(山城)跡入り口」洋野ヒストリアデジタルアーカイブ・洋野町公式HP
  4. ^ 洋野町教育委員会 2021 pp.5-6
  5. ^ 岩手県教育委員会 1986 p.75
  6. ^ 洋野町教育委員会 2021 pp.9-10
  7. ^ 洋野町教育委員会 2021 p.5

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「種市城」の関連用語

1
34% |||||

種市城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



種市城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの種市城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS