称念寺 (知立市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/25 09:48 UTC 版)
| 称念寺 | |
|---|---|
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| 所在地 | 愛知県知立市新地町西新地65 |
| 位置 | 北緯35度00分23.7秒 東経137度02分34.3秒 / 北緯35.006583度 東経137.042861度座標: 北緯35度00分23.7秒 東経137度02分34.3秒 / 北緯35.006583度 東経137.042861度 |
| 山号 | 一向山 |
| 宗派 | 真宗大谷派 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 正和年間(1312年~1317年) |
| 開基 | 道性法師 |
| 文化財 | 沢庵和尚書、六字名号(市指定)[1] |
称念寺(しょうねんじ)は、愛知県知立市新地町西新地65にある真宗大谷派の寺院。山号は一向山[2]。本尊は阿弥陀如来[2]。
歴史
創建
正和年間(1312年~1317年)、道性法師が池鯉鮒宿に草庵を結んだ[3]。やがて道性は草庵を道意に譲り、如道に従って越前国に向かった[3]。
近世
もともと称念寺は池鯉鮒宿中町の北裏にあったが、宝永2年(1705年)には大火に見舞われ、享保6年(1721年)には中町から新地町に移転した[4]。当時はこれより南側に人家はなかったとされる[4]。宝暦3年(1753年)、17世故順の代に山門を建立した[5]。
近代
1922年(大正11年)、伊勢了憲は知立町初の幼稚園である徳風幼稚園を創設した[6]。1948年(昭和23年)に児童福祉法が制定されると、徳風幼稚園は保育園に切り替えられて徳風保育園となった。
太平洋戦争中の1942年(昭和17年)頃、金属類回収令によって梵鐘が供出された[7]。
現代
1947年(昭和22年)8月、梵鐘が再鋳された。
2017年(平成29年)3月25日には本堂の落慶法要を執り行い、3月26日には親鸞聖人750回御遠忌法要を執り行った[8]。本堂の鬼瓦に当たる部分には馬の上半身が乗っているが、これはゴータマ・シッダールタ(後の釈迦)の愛馬カンタカをモチーフとしている[9]。
境内
- 本堂
- 鐘楼
- 山門
- 応願塔院納骨堂
- 石碑「千江有水千江月 万里无云万里天」 - 『山の郵便配達』などで知られる中国の映画監督の霍建起が2007年(平成19年)に日本を訪れた際に揮毫[10]。
- 石碑「流水不腐」 - 中国の小説家である蘇童の揮毫[10]。
- 石碑「雪と餅」 - 中国の小説家である莫言の揮毫[10]。
- 石碑「㕠樹門」 - 中国の小説家である莫言の揮毫。
- 石碑「来」 - 中国の小説家である莫言の揮毫[10]。
- 石碑「嫁給佛」 - 中国の小説家である衛慧の揮毫[10]。
- 徳風こども園 - 旧称は徳風保育園。
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鐘楼
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石碑「千江有水千江月 万里无云万里天」
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石碑「㕠樹門」
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徳風こども園
文化財
市指定文化財
現地情報
- 所在地
- アクセス
脚注
- ^ a b c 池鯉鮒の文化財 知立市
- ^ a b 知立市史編纂委員会『知立市史 下巻』知立市、1979年、p.511
- ^ a b 知立市史編纂委員会『知立市史 上巻』知立市教育委員会、1976年、pp.128-129
- ^ a b 知立市史編纂委員会『知立市史 上巻』知立市教育委員会、1976年、p.255
- ^ 知立市史編纂委員会『知立市史 上巻』知立市教育委員会、1976年、p.166
- ^ 知立市史編纂委員会『知立市史 中巻』知立市、1977年、p.656
- ^ 知立市史編纂委員会『知立市史 中巻』知立市、1977年、p.357
- ^ 「称念寺の稚児行列」『寺報 清風』称念寺、2017年3月号
- ^ 「変わらないこと」『寺報 清風』称念寺、2016年11月号
- ^ a b c d e 「境内の碑」『寺報 清風』称念寺、2008年6月号
参考文献
- 知立町誌編纂委員会『知立町誌 文化財編』知立町誌編纂委員会、1969年
- 野村泰三『社寺めぐり 知立の寺院』野村泰三、2001年
外部リンク
- 称念寺_(知立市)のページへのリンク