福住の開基(六軒村)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 06:21 UTC 版)
「福住 (札幌市)」の記事における「福住の開基(六軒村)」の解説
1871年(明治4年) 月寒に岩手県出身の44軒185名が入植。このとき土地は現在の国道36号線沿いに、3町3反ずつに分けたが、6軒分が足りなくなったため、くじびきにより決まった6軒が茅野と呼ばれていた現在の福住1条1丁目(月寒川から福住中央通りまで)に入植し、六軒村と呼ばれるようになる。 1878年(明治11年) 現在の光明山福住寺の前身にあたる説教所(本願寺札幌別院の出張所)が開設される。 1884年(明治17年) 広島県出身の移住者により、現在の福住厳島神社が創祀される。 1890年(明治23年) 福住二号線(現在の福住中央通り)が開通する。
※この「福住の開基(六軒村)」の解説は、「福住 (札幌市)」の解説の一部です。
「福住の開基(六軒村)」を含む「福住 (札幌市)」の記事については、「福住 (札幌市)」の概要を参照ください。
- 福住の開基のページへのリンク