知久平城とは? わかりやすく解説

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知久平城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 14:09 UTC 版)

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知久平城
長野県
城郭構造 平山城
築城主 知久氏
遺構 曲輪、土塁、土橋
指定文化財 飯田市指定史跡
位置 北緯35度28分41.7秒 東経137度50分59.6秒 / 北緯35.478250度 東経137.849889度 / 35.478250; 137.849889 (知久平城)座標: 北緯35度28分41.7秒 東経137度50分59.6秒 / 北緯35.478250度 東経137.849889度 / 35.478250; 137.849889 (知久平城)
地図
知久平城
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知久平城(ちくだいらじょう)は、長野県飯田市下久堅知久平にあった日本の城。標高438メートルにある。飯田市指定史跡[1][2]

概要

鎌倉時代伊那伴野荘の地頭として伊那郡阿島(喬木村)に居館を構えた知久氏天竜川右岸の河岸段丘上に築城したが、室町時代中期に要害を求め、新たに神之峰城を新築して拠点を移し、知久平城にはその庶流が残った。天正壬午の乱後に徳川氏家臣の菅沼定利が普請し、その縄張が反映されおり、現在の城跡はその時代のものである。

城の南北は知久沢川と塩沢川の渓谷によって阻まれ、また対岸の河岸段丘上には松尾城鈴岡城を望む。城跡の麓には 知久十八ヶ寺と称する寺庵跡がある。

中心部は主郭とそれを取り囲む3つの郭から構成され、主郭は上段の北西端に位置し、廓の周囲には土塁が残っている。北西方には突き出した尾根があり、その尖端に小規模な郭がある。南方と東方にもそれぞれ廓が設けられており、これらの郭と主郭は土橋で連絡している。

脚注

  1. ^ 「文化財保護いいだ(知久平城跡)」安曇野市公式HP
  2. ^ 「知久平城」公益財団法人八十二文化財団公式HP

参考文献

関連項目




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