矢野力治
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矢野 力治(やの りきじ、1864年3月9日(元治元年2月2日[1])- 1936年(昭和11年)9月10日[2])は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
日向国臼杵郡坪谷村(宮崎県[2]東臼杵郡東郷村、東郷町を経て現日向市)で生まれた[3]。1890年(明治23年)明治法律学校法律科及び政治科卒[3]。代言人から弁護士となり、山林業従事する[3]。東臼杵郡会議員、宮崎県会議員、同産業調査委員、同協賛会評議員となる[2][3]。
1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙において宮崎県全県区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した[3][4]。1929年(昭和4年)6月14日、業務上横領被告事件において大審院で上告が棄却され、長崎控訴院での懲役8月の判決が確定し、衆議院議員を1期目途中で退職した[5]。1936年死去。
脚注
参考文献
- 宮崎県政外史編纂委員会編『宮崎県政外史』宮崎県政外史刊行会、1967年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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