矢島直方
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矢島 直方(やじま なおかた、文政6年〈1823年〉 - 明治18年〈1885年〉7月26日)は、江戸時代後期から明治にかけての日本の公共事業家[1]。通称は源助[2]。
四賢婦人と呼ばれる姉妹である竹崎順子、徳富久子、横井つせ子、矢嶋楫子らの兄[2]。
生涯
文政6年(1823年)、肥後国益城郡の惣庄屋である矢島直明の子として生まれた[1]。横井小楠のもとで学び、高弟として知られた[1][2]。
明治維新後、堺県の権参事官や福岡県大参事官などを歴任した[1]。その後、帰郷して小学校の設置、水田の開発、茶の栽培などの郷里の発展に尽くした[1]。
明治18年(1885年)7月26日に死去した[1]。享年63[1]。
脚注
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