目黒橋 (富山県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/18 14:05 UTC 版)
目黒橋 | |
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基本情報 | |
国 | ![]() |
所在地 | 富山県黒部市 |
交差物件 | 黒部川 |
用途 | 鉄道橋 |
路線名 | 黒部峡谷鉄道支線 |
設計者 | 山口文象 |
橋桁製作者 | 日本橋梁 |
竣工 | 1934年 |
座標 | 北緯36度45分5秒 東経137度38分25秒 / 北緯36.75139度 東経137.64028度 |
構造諸元 | |
形式 | 下路式フィーレンディール橋 |
材料 | 鋼 |
全長 | 75m |
幅 | 3.05m[1] |
最大支間長 | 29.3m[2] |
地図 | |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
目黒橋(めぐろばし)は、富山県の黒部川に架かるフィーレンディール橋である。
構造
黒部川右岸の黒部峡谷鉄道本線猫又駅と、対岸の黒部川第二発電所の間に架かり、資材などを運搬する引き込み線が通っている。同駅は、本来は発電所関係者専用で、2024年1月1日の能登半島地震の被害で猫又 - 欅平駅間の不通が続いていることから、2024年10月よりホームへの乗降が可能となったが[3]、一般の乗客が本橋を渡ることはできない。
黒部川第二発電所は、上流の小屋平ダムから送水した水力を利用した水力発電所で、1936年(昭和11年)竣工。目黒橋はこれに先立ち1934年に完成した[4]。当時の日本電力の技術者として、目黒雄平が携わっている[5]。黒部川右岸に猫又谷が合流する付近に位置し[6]、古くは「猫又側線橋」[2]あるいは「猫又谷水路橋」[5]と称した。橋梁、発電所建屋とも山口文象による設計で、直線を基調とした白い建屋に対し、角に曲線を用いた赤いトラスが対照的な印象をもたらす[4][7]。橋梁形式はフィーレンディール橋で、構造上はトラス橋ではなくラーメン橋に分類される。
橋桁は大阪の日本橋梁が製作し、橋脚は堰堤のゲートピアを活用している[8]。
戦前に架けられた鋼製フィーレンディール橋としては、1927年に竣工した東京の日本橋川の豊海橋と並ぶ2例の一つである。
脚注
- ^ 土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会 編『鉄の橋百選-近代日本のランドマーク』東京堂出版、1994年、206-207頁。ISBN 4-490-20250-4 。
- ^ a b “目黒橋”. 歴史的鋼橋検索. 2025年5月17日閲覧。
- ^ "黒部峡谷鉄道 猫又駅での乗降開始について" (pdf) (Press release). 黒部峡谷鉄道. 19 August 2024. 2025年5月17日閲覧。
- ^ a b 佐藤祐明 (2018年12月22日). “シビックデザインの源流がここにある~建築家・山口文象とモダニズムが漂う黒部川第二発電所・目黒橋~(富山県黒部市)”. 土木ウォッチング. 2025年5月17日閲覧。
- ^ a b 稲松 敏夫「電力土木の歴史 第2編電力土木人物史 (その2)」(PDF)『土木史研究』第14巻、1994年6月、279-285頁、2025年5月17日閲覧。
- ^ 猫又谷水流[8404060012]黒部川水系 地図(国土数値情報河川データセット)
- ^ 藤森照信 (2019年1月14日). “黒部川第二発電所─ 峡谷に佇む初期モダニズム ─”. けんせつPlaza. 2025年5月18日閲覧。
- ^ 伊藤純 (2019年11月30日). “目黒橋(富山県)-1934年竣工:フィーレンディール+上路プレートガーダー-”. 土木ウォッチング. 2025年5月18日閲覧。
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