盧奐とは? わかりやすく解説

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盧奐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/09 09:09 UTC 版)

盧 奐(ろ かん、生没年不詳)は、唐代官僚本貫滑州霊昌県[1][2]

経歴

盧懐慎の子として生まれた。官にあってその品行が端正で廉潔なことで知られた。開元年間、盧奐は中書舎人・御史中丞陝州刺史を歴任した。開元24年(736年)、玄宗長安に帰る途中に、陝県で宿営すると、盧奐はその有能を称賛された。ほどなく兵部侍郎に任じられた。天宝元年(742年)、晋陵郡太守として出向した。ときに南海郡で劉巨鱗・彭杲が相次いで太守をつとめ、いずれも不法に財産を蓄えた罪で死を賜った。そこで盧奐が南海郡太守に任じられた。汚職官吏たちは姿を隠し、市舶司宦官もあえて不法を犯さなくなった。盧奐は銀青光禄大夫の位を加えられた。3年を経て、入朝して尚書右丞となった。のちに死去した[3][4]

脚注

  1. ^ 旧唐書 1975, p. 3064.
  2. ^ 新唐書 1975, p. 4415.
  3. ^ 旧唐書 1975, pp. 3069–3070.
  4. ^ 新唐書 1975, p. 4418.

伝記資料

参考文献




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