盧奐
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盧 奐(ろ かん、生没年不詳)は、唐代の官僚。本貫は滑州霊昌県[1][2]。
経歴
盧懐慎の子として生まれた。官にあってその品行が端正で廉潔なことで知られた。開元年間、盧奐は中書舎人・御史中丞・陝州刺史を歴任した。開元24年(736年)、玄宗が長安に帰る途中に、陝県で宿営すると、盧奐はその有能を称賛された。ほどなく兵部侍郎に任じられた。天宝元年(742年)、晋陵郡太守として出向した。ときに南海郡で劉巨鱗・彭杲が相次いで太守をつとめ、いずれも不法に財産を蓄えた罪で死を賜った。そこで盧奐が南海郡太守に任じられた。汚職官吏たちは姿を隠し、市舶司の宦官もあえて不法を犯さなくなった。盧奐は銀青光禄大夫の位を加えられた。3年を経て、入朝して尚書右丞となった。のちに死去した[3][4]。
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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