田崎秀夫とは? わかりやすく解説

田崎秀夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 14:46 UTC 版)

田崎 秀夫(たざき ひでお、1898年3月3日[1] - 1989年12月19日)は広島文理科大学(現広島大学)の理学研究者。

福島県出身[1]X線および電子線による結晶解析の研究においてで、メタ硼酸の結晶構造の解析にフーリエ解析法を用いる方法を提案した。

広島大学退官後は、大阪電気通信大学学長に就任し、持ち前の温厚な性格と冷静な発言で、学生紛争を平和裏に終結に導いた。1970年、勲三等瑞宝章受章。1989年、腎不全のため死去[1]

略歴

  • 1928年、京都大学理学部物理学科卒業
  • 1933年、広島文理科大学助教授
  • 1946年、広島文理科大学教授
  • 1961年、広島文理科大学退官

著書

  • 発明発見学習図鑑(東洋図書、1953年)
  • 一般教養としての科学(広報図書、1951年)
  • X線(日本出版社、1947年)

脚注

  1. ^ a b c 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.388




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