田代城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田代城の意味・解説 

田代城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/01 08:25 UTC 版)

田代城
岐阜県
別名 蓮台城
城郭構造 平城
天守構造 未詳
築城主 森可勝
築城年 1500年代初頭
主な城主 森可勝、森可成
廃城年 未詳
遺構 跡地にある神社
指定文化財 町指定史跡
位置

岐阜県羽島郡笠松町田代670-1 

北緯35度21分36.7秒 東経136度45分05.6秒 / 北緯35.360194度 東経136.751556度 / 35.360194; 136.751556
テンプレートを表示

田代城(でんだいじょう)は、現在の岐阜県羽島郡笠松町田代にあった、戦国時代日本の城である。この城がある地域は、当時尾張国葉栗郡である。

略歴

築城は1500年代初頭と言われているが、不明である。初代城主の森可勝は森成利(蘭丸)等を輩出した、戦国武将森氏である。天文21年(1552年)に、森可成の長男である傳兵衛可隆、永禄元年(1558年)には次男勝蔵(長可)、永禄3年(1560年)には森越後守可行の次男九一郎(対馬守可政)が誕生している。 永禄8年(1565年)可成の三男蘭丸長定(乱丸成利)が金山城に於いて誕生しているため、1560年1565年に廃城となったと思われる。

織田信長・斎藤道三との関わり

斎藤道三の娘の帰蝶(濃姫)は織田信長の元に嫁いでいる。天文22年(1553年)、斎藤道三と織田信長は尾張国中島郡冨田村(現・愛知県一宮市)の正徳寺聖徳寺)で親子対面し、帰りをともにする。田代城にて別れの儀式を行い、道三は稲葉山城に、信長は那古野城に戻っていったという。

現在

跡地には白鬚神社がある。この地には奈良時代の寺院跡(蓮台寺、東流廃寺)があり、礎石が発掘されている。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田代城」の関連用語

田代城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田代城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田代城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS