現在の富田城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 09:30 UTC 版)
近鉄富田駅東側の市立富田幼稚園付近を中心に、市立富田小学校と駅周辺の富田茶屋町付近にあったとされる。近代化による同地区の市街地化により富田城の地割も跡形もなく消滅してしまった。中世富田城の名残として富田幼稚園の運動場には銀杏の古木が残存している。朝明郡富田の地籍図によると、南方にある茂福城に形状が類似していたという。
※この「現在の富田城」の解説は、「富田城 (伊勢国)」の解説の一部です。
「現在の富田城」を含む「富田城 (伊勢国)」の記事については、「富田城 (伊勢国)」の概要を参照ください。
- 現在の富田城のページへのリンク