王観 (遼)とは? わかりやすく解説

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王観 (遼)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 07:47 UTC 版)

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王 観(おう かん、生没年不詳)は、(契丹)の政治家学者本貫幽州薊県

経歴

博学で弁論を得意とした。重熙7年(1038年)、進士乙科に及第した。後に兵部侍郎となった。

重熙24年(1055年)、興宗が死去すると、王観は西夏に悲報を伝える使者として立った。帰国すると、給事中に任じられた。咸雍元年(1065年)、翰林学士に転じた。咸雍5年(1069年)、乾文閣学士を兼ねた。咸雍7年(1071年)、南院枢密副使に転じ、耶律の国姓を賜った。参知政事となり、知南院枢密事を兼ねた。

勝手に私邸を修築した罪を問われ、爵位を奪われて庶民となり、死去した。

伝記資料

  • 遼史』巻97 列伝第27



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