狭布里錦太夫とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 狭布里錦太夫の意味・解説 

狭布里錦太夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 09:19 UTC 版)

狭布里 錦太夫(きょうのさと きんだゆう、1859年7月11日安政6年6月12日) - 1926年6月28日)は、現在の茨城県筑西市(旧真壁郡)出身で伊勢ノ海部屋に所属した力士。本名は関 喜市(旧姓本橋)。170cm、81kg。最高位は東前頭3枚目。

経歴

1883年1月初土俵、1890年5月十両昇進。四股名の狭布里錦太夫とは、部屋の先輩である柏戸宗五郎 (1810年生)が若い時分に名乗っていたもの。1896年1月に入幕。翌5月にこの場所横綱に昇進した小錦を破り金星を獲得[1]。幕内を連続17場所務め、44歳まで幕内に在位したが、1904年5月に十両に陥落。1905年1月に廃業した。

成績

  • 幕内17場所40勝88敗23休19分預

改名

海老ノ海→狭布里錦太夫 [2] [3]

出典

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「狭布里錦太夫」の関連用語

狭布里錦太夫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



狭布里錦太夫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの狭布里錦太夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS