烏と案山子とアイスクリームとは? わかりやすく解説

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烏と案山子とアイスクリーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 15:30 UTC 版)

『烏と案山子とアイスクリーム』
キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドスタジオ・アルバム
リリース
録音
  • 1982年5月 - 6月
  • カリフォルニア州 ノース・ハリウッド ワーナー・ブラザーズ・レコーディング・スタジオ
ジャンル ブルース・ロック
時間
レーベル
プロデュース
  • ドン・ヴァン・ヴリート
専門評論家によるレビュー
AllMusic Rating link
キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド アルバム 年表
  • 烏と案山子とアイスクリーム
  • (1982年 (1982)
キャプテン・ビーフハート
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烏と案山子とアイスクリーム』(Ice Cream for Crow)は、ドン・ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドが1982年に発表した通算12作目に相当するアルバムである[注釈 1]

本作の発表後、ヴァン・ヴリートは音楽活動を一切止め[注釈 2]、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドは自然消滅した[1]

解説

経緯

キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドが1980年8月に発表した前作『美は乱調にあり』は好意的な評価を得[2]、彼等は同年10月からヨーロッパとアメリカのツアーを行なった。その直前に、メンバーのジョン・フレンチ(ギター、ドラムス)がライブ活動を拒否して離脱し[注釈 3]、空席だったベーシスト[注釈 4]の席に元エース・アンド・デュースのリチャード・スナイダーが迎えられた[3]。3か月間にわたったツアーは1981年1月31日のロサンゼルスでのコンサートで幕を閉じた[4]

ツアー終了後、ドラマーのロバート・ウィリアムスがソロ活動に専念する為に脱退を決意した。ヴァン・ヴリートはウィリアムスの後任にザ・マザーズ・オブ・インヴェンションのパーカッショニストだったルース・アンダーウッド[注釈 5]を考えたが、自分はパーカッショニストであってドラマーではないという理由で彼女に断わられた。そこで彼はオーディションを行ない、元ザ・ウィアードズクリフ・マルティネスを迎えた[5]

キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドが1976年にフランク・ザッパ[注釈 6]をエグゼクティブ・プロデューサーに迎えて制作したアルバム『バット・チェイン・プラー』はザッパのディスクリート・レコードから発表される予定だったが、ザッパと彼のマネージャーでディスクリート・レコードを共同で設立運営していたハーブ・コーエンの対立のあおりを受けて未発表のままだった[6]。ヴァン・ヴリートは新作アルバムの計画を立てるにあたって、ザッパが保管していた『バット・チェイン・プラー』のオリジナル・テープを自分に渡すように交渉したが、ザッパは欲しければ自分から買い取れと言い放ち、両者の話し合いは決裂した[7]

ヴァン・ヴリート達は1982年5月に2週間かけてリハーサルを行ない、引き続いて本作を制作した[8]

内容

「81年版プープ・ハッチ」と「千と十日目の聖人トーテム・ポール」は当時未発表だった『バット・チェイン・プラー』の収録曲の再録音版である[9]

タイトル曲はシングル・カットされ、1982年8月上旬には2日間にわたって、気温が華氏114度(46℃)にまで上がったモハーヴェ砂漠でプロモーション・ビデオが撮影された[10]

収録曲

作詞・作曲はDon Van Vlietによる。邦題は日本盤CD[11]に準拠。

オリジナルLP

Side One
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「烏と案山子とアイスクリーム Ice Cream for Crow  
2.「幽霊の主人はステキな殉教者 The Host the Ghost the Most Holy-O」  
3.「セミ・マルチカラーのコーカサス人 Semi-Multicoloured Caucasian」  
4.「ガーランド氏のツイード・コート Hey Garland, I Dig Your Tweed Coat」  
5.「晩鐘 Evening Bell」  
6.「ボール紙のキリヌキ夕陽[モハビの砂漠にて] Cardboard Cutout Sundown」  
合計時間:
Side Two
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「覗き穴から緊張した過去が見えるよ The Past Sure Is Tense」  
2.「インク算術思考法 Ink Mathematics」  
3.「妖術師ライフの存命 The Witch Doctor Life」  
4.「81年版プープ・ハッチ "81" Poop Hatch」  
5.「千と十日目の聖人トーテム・ポール The Thousandth and Tenth Day of the Human Totem Pole」  
6.「やったネ、シャレコーベ氏 Skeleton Makes Good」  
合計時間:

CD

#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「烏と案山子とアイスクリーム Ice Cream for Crow  
2.「幽霊の主人はステキな殉教者 The Host the Ghost the Most Holy-O」  
3.「セミ・マルチカラーのコーカサス人 Semi-Multicoloured Caucasian」  
4.「ガーランド氏のツイード・コート Hey Garland, I Dig Your Tweed Coat」  
5.「晩鐘 Evening Bell」  
6.「ボール紙のキリヌキ夕陽[モハビの砂漠にて] Cardboard Cutout Sundown」  
7.「覗き穴から緊張した過去が見えるよ The Past Sure Is Tense」  
8.「インク算術思考法 Ink Mathematics」  
9.「妖術師ライフの存命 The Witch Doctor Life」  
10.「81年版プープ・ハッチ '81 Poop Hatch」  
11.「千と十日目の聖人トーテム・ポール The Thousandth and Tenth Day of the Human Totem Pole」  
12.「やったネ、シャレコーベ氏 Skeleton Makes Good」  
13.「Light Reflected Off the Oceands of the Moon」(Bonus track)   
合計時間:

参加ミュージシャン

番号はCDのトラック・ナンバーを示す。

  • キャプテン・ビーフハート Captain Beefheart – ヴォーカル、チャイニーズ・ゴング、ハーモニカ、ソプラノ・サクソフォーン、プロップ・ホルン
  • ジェフ・モリス・テッパー Jeff Moris Tepper – スティール–アッペンデージ・ギター、スライド・ギター、ギター、アコースティック・ギター
  • ゲイリー・ルーカス Gary Lucas – グラス–スティール・ギター、スライド・ギター、ナショナル・スティール・デュオリアン、ソロ・ギター(5)
  • リチャード・スナイダー Richard Midnight Hatsize Snyder – ベース・ギター、マリンバ、ヴィオラ
  • クリフ・マルティネス Cliff Martinez – ドラムス、シェイク・ブーケ、グラス・ウォッシュボード、メタル・ドラムス
  • エリック・ドリュー・フェルドマン Eric Drew Feldman – ローズ・ピアノ、シンセサイズド・ベース(11)

脚注

注釈

  1. ^ 1960年代に発表した3作のアルバムと1967年に制作された未発表音源を編集した『ミラー・マン』(1971年)はキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド名義、『ザ・スポットライト・キッド』(1972年)はキャプテン・ビーフハート名義だった。
  2. ^ 2010年に病没するまでの人生を画家として過ごした。
  3. ^ フレンチは前作では主にギターを担当したが、本来はドラマーであった。彼はツアーに際してヴァン・ヴリートから40曲のリストを与えられてギターに専念するように言われた。
  4. ^ 1975年の再結成以来、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドにはベーシストの適任者が見つからず、メンバーがトロンボーンやシンセサイザーでベース・パートを演奏してきた。
  5. ^ アルバム『アンクル・ミート』(1969年)にルース・コマノフの名で客演してマリンバヴィブラフォンを担当した。メンバーのイアン・アンダーウッドと結婚してルース・アンダーウッドとなり、『オーヴァーナイト・センセーション』(1973年)から正式メンバーとして活動した。
  6. ^ ザッパとヴァン・ヴリートはカリフォルニア州ランカスターアンテロープ・バレー・ハイ・スクールの同級生。R&Bのレコード鑑賞を通じて親交を深め、やがてザッパがギター、ヴァン・ヴリートがボーカルを担当して録音するようになった。1964年、ヴァン・ヴリートはザッパと共同で制作していたSF映画の主人公の名前であったキャプテン・ビーフハートを自分のステージ名にした。1968年、ザッパは、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドを自分が同年に設立したストレイト・レコードに招き、大作『トラウト・マスク・レプリカ』(1969年)のプロデューサーを務めた。

出典

  1. ^ Barnes (2011), p. 301.
  2. ^ Barnes (2011), p. 267.
  3. ^ Barnes (2011), pp. 272–274.
  4. ^ Barnes (2011), pp. 275–281.
  5. ^ Barnes (2011), pp. 282–284.
  6. ^ Barnes (2011), p. 237.
  7. ^ Barnes (2011), pp. 285–286.
  8. ^ Barnes (2011), p. 288.
  9. ^ Barnes (2011), p. 294.
  10. ^ Barnes (2011), pp. 296–299.
  11. ^ Discogs”. 2025年4月26日閲覧。

引用文献

関連項目




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