源村_(鳥取県)とは? わかりやすく解説

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源村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 14:40 UTC 版)

みなもとそん
源村
廃止日 1911年1月1日
廃止理由 新設合併
西竹田村東竹田村源村 → 竹田村
現在の自治体 東伯郡三朝町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 429
(『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』747頁、1907年)
隣接自治体 西竹田村、東竹田村
岡山県苫田郡上齋原村羽出村真庭郡中和村
源村役場
所在地 鳥取県東伯郡東竹田村大字穴鴨(組合村役場)
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源村(みなもとそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡三朝町の一部にあたる。

地理

天神川の上流域に位置していた[2]

  • 河川:大谷川[3]、田代川[4]
  • 山岳:若杉山[3]

歴史

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡大谷村、下畑村、田代村が合併して村制施行し、源村が発足[1][2]。旧村名を継承した大谷、下畑、田代の3大字を編成[2]。河村郡西竹田村東竹田村組合村を結成し、組合村役場を東竹田村大字穴鴨に設置[5]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1897年(明治30年)大字田代に167町歩余の牧場を開設[2]
  • 1911年(明治44年)1月1日、東伯郡西竹田村、東竹田村と合併し、竹田村を新設して廃止[1][2]。合併後、竹田村大字大谷・下畑・田代となる[2]

地名の由来

当地は天神川奥部に位置し、最も開拓が古い土地との伝説から、村の発祥地との意味で名付けられた[2]

産業

教育

  • 1876年(明治9年)穴鴨小学校下畑分校開設[6]、同小学校田代分校開設[4]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』768頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』747頁。
  3. ^ a b 「大谷〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』173-174頁。
  4. ^ a b 「田代〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』473頁。
  5. ^ 「東竹田村〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』634頁。
  6. ^ a b c d e 「下畑〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』405-406頁。

参考文献

関連項目




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