渋井太室とは? わかりやすく解説

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渋井太室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 08:18 UTC 版)

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渋井 太室(しぶい たいしつ、享保5年(1720年)9月 - 天明8年6月14日1788年7月17日))は、日本の儒学者を孝徳、通称平左衛門、は子章、太室は。子に、同じく儒学者の渋井小室がある。

生涯

享保5年(1720年)9月、武蔵国埼玉郡名村(現・埼玉県羽生市)に生まれる。父重之が大学頭林鳳岡に仕えていたのを頼り、14歳で江戸に出て、林家に入門し、井上蘭台に師事した。また、林鳳岡・林榴岡にも就いた。24歳で佐倉藩堀田正亮に侍読として仕える。藩政を補佐し、佐倉藩の文教政策に取り組むかたわら、当時の著名な儒学者滝鶴台・秋山玉山細井平洲・名越南渓・南宮大湫らと交流し見識を深める。天明7年(1787年)9月、正亮の子堀田正順大坂城代赴任に従い、翌8年(1788年)6月14日同地で病没した。

弟子に、林家8代で林家中興の祖といわれる林述斎がいる。また、細井平洲の紹介で、上杉治憲(鷹山)も教えている。




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