淵野辺城とは? わかりやすく解説

淵野辺城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/21 15:51 UTC 版)

logo
淵野辺城
神奈川県
別名 淵辺義博居館
城郭構造 平城
築城主 淵辺義博
築城年 南北朝時代
指定文化財 なし
再建造物 石碑
位置 北緯35度34分20秒 東経139度24分27秒 / 北緯35.57222度 東経139.40750度 / 35.57222; 139.40750座標: 北緯35度34分20秒 東経139度24分27秒 / 北緯35.57222度 東経139.40750度 / 35.57222; 139.40750
地図
淵野辺城
テンプレートを表示

淵野辺城(ふちのべじょう)は、神奈川県相模原市中央区にあった日本の城南北朝時代に淵野辺村の地頭だった淵辺義博の館である。

歴史・沿革

淵辺義博は足利尊氏の弟である足利直義配下の武将であった。1335年北条時行による中先代の乱が起こると戦況が悪いと見た足利直義は義博に後醍醐天皇の皇子護良親王を殺害するように命令する。義博は護良親王を殺害するとその首を藪のなかに捨てたと太平記には書かれている。その後義博は直義に従って駿河国で北条氏と戦うがそこで戦死してしまう。

だが、一方で護良親王暗殺については、義博が親王を匿ったために生存していたという伝承もある、鎌倉から奥州石巻港に落ち延びたとか、 洞穴の中にかくまって奥州に落ち延びさせたといろいろある。ただし生き延びていたのであれば、北畠顕家と合流して北朝に対抗するのが自然なため、この説は定説ではない。 また義博には境川にいた大蛇を退治して村の人々を救ったという伝説も残っており竜像寺には今も蛇の体の一部と退治した時の鏃が残っているという。

現在の淵野辺城は石碑が建っているのみである。

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「淵野辺城」の関連用語

淵野辺城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



淵野辺城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの淵野辺城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS