淑嘉皇貴妃とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 淑嘉皇貴妃の意味・解説 

淑嘉皇貴妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/27 08:08 UTC 版)

淑嘉皇貴妃

淑嘉皇貴妃(しゅくかこうきひ、康熙52年7月25日1713年9月14日) - 乾隆20年11月15日1755年12月17日))は、乾隆帝の側妃。高麗佐領正黄旗包衣(内務府所属の朝鮮族)の出身。姓は金氏、のち金佳氏。上駟院卿金三保の娘。金氏は朝鮮半島義州に起源を持つ朝鮮系の一族。

生涯

はじめ、宝親王の弘暦(後の乾隆帝)の府邸に入り、格格(側女)となったとされる。

乾隆帝の即位後、貴人に冊立され、乾隆2年(1737年)には、嘉嬪となった。乾隆4年(1739年)1月14日、第四皇子永珹を産み、乾隆6年(1741年)2月13日,皇太后の命で、嘉妃に冊封され、同時に三人の貴人が嬪に晋封された。

乾隆11年(1746年)7月15日、第八皇子永璇を産んだ。

乾隆13年(1748年) 7月1日、乾隆帝は出産を控えた嘉妃を貴妃に封じた。同年7月9日、第九皇子が生まれたが、夭逝した。

乾隆14年(1749年)4月5日、嫻貴妃が皇貴妃に封じられた際に、嘉貴妃に封じられた。

乾隆17年(1752年)2月7日、第十一皇子永瑆を産んだ。

乾隆20年(1755年)11月15日、嘉貴妃は、熱中症や熱疲労などを伴う赤熱で亡くなった。享年43歳。翌日、乾隆帝は彼女に淑嘉皇貴妃の位を追贈した。

嘉慶4年(1799年)、嘉慶帝により金氏の一族は正黄旗満洲旗人に抬旗(八旗制のなかで格上の所属に変更すること)され、満州姓「ギンギャ(金佳)」が授けられた。

子女

登場作品

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  淑嘉皇貴妃のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「淑嘉皇貴妃」の関連用語

淑嘉皇貴妃のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



淑嘉皇貴妃のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの淑嘉皇貴妃 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS