浅野総一郎と知り合う
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 02:00 UTC 版)
1910年(明治43年)3月31日に一株主として東洋汽船の株主総会に出席した。この頃東洋汽船は無配に転落し、株価が暴落したので、浅野総一郎社長の罷免を主張する株主ばかりで、特に長谷川工学博士は社長の自決を要求する程過激だった。ところが橋本梅太郎は、浅野総一郎社長を続投させ経営改善の責任を果たさせるのが東洋汽船を救う道だと演説した。すると場の空気が一変し、割れるような拍手が起こって浅野総一郎の続投が決まった>。東洋汽船株主総会は毎回紛糾し六時間近く要していたが、これ以後、橋本が演説すると円滑に運営されるようになった。
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