浄蓮寺 (名古屋市緑区)とは? わかりやすく解説

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浄蓮寺 (名古屋市緑区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/27 22:42 UTC 版)

浄蓮寺
所在地 愛知県名古屋市緑区相原郷1丁目302
位置 北緯35度04分53秒 東経136度57分59秒 / 北緯35.08139度 東経136.96639度 / 35.08139; 136.96639座標: 北緯35度04分53秒 東経136度57分59秒 / 北緯35.08139度 東経136.96639度 / 35.08139; 136.96639
山号 相原山
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 天正3年(1575年)
開山 慶念
正式名 相原山 浄蓮寺
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浄蓮寺(じょうれんじ)は愛知県名古屋市緑区にある真宗大谷派の寺院。山号は相原山、本尊阿弥陀如来行基の作と伝わる[1]

歴史

天正3年(1575年)、慶念という僧によって創建された[2]今川義元の家臣であった慶念は万福寺で出家していたが[1]永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いで義元が討たれた後、その菩提を弔うために光泉坊と言う草庵を川端(現在の緑区鳴海町会下)に結び、天正年間中に現在地に移った[2]

なお、尾張藩の官製地誌である『尾張志』に寄れば、当初は真宗高田派の寺院であったが享保18年(1733年)丑四月に京都西本願寺浄土真宗本願寺派)の末寺となり、元文3年(1738年)には高田派に復したが寛延元年(1748年)辰十月に東本願寺(真宗大谷派)直末寺となったとされる[2][3]。一方、名古屋市ウェブサイトでは文久2年(1862年)に真宗大谷派となって現在の寺号に改めたとしている[1]

江戸時代には周辺の寺ともども、寺子屋が置かれた[4]

脚注

  1. ^ a b c 鳴海東部周辺のみどころ一覧3”. 名古屋市 (2018年10月5日). 2024年6月28日閲覧。
  2. ^ a b c 緑区の歴史(1984)、pp.221 - 222
  3. ^ 尾張志 上(1969)、P.649
  4. ^ 緑区誌(2014)、P.102

参考j文献

  • 深田正韶 編 『尾張志』(上)、1969年9月15日、歴史図書社
  • 榊原邦彦 著、『名古屋区史シリーズ 6 緑区の歴史』 愛知県郷土資料刊行会、1984年11月20日、ISBN 4-87161-026-8
  • 『緑区制50周年記念誌 緑区誌』、緑区制50周年記念事業実行委員会、2014年2月、



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