浄土宗丈六山阿弥陀寺
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浄土宗丈六山阿弥陀寺 | |
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所在地 | 和歌山県海南市下津町橘本1084 |
位置 | 北緯34度7分41秒 東経135度11分42秒 / 北緯34.12806度 東経135.19500度座標: 北緯34度7分41秒 東経135度11分42秒 / 北緯34.12806度 東経135.19500度 |
山号 | 丈六山 |
院号 | 寶藏院 |
宗派 | 浄土宗.鎮西派(華頂山知恩教院大谷寺) |
本尊 | 十一面観音菩薩坐像(鎌倉時代). 阿弥陀如来立像(室町時代) |
創建年 | 平安期.長徳年間( 995年 - 999年)源信僧都【恵信僧都】 |
開山 | 慶長三年(1598年) |
開基 | 頂蓮計上譽安養 |
正式名 | 浄土宗 丈六山 寶藏院 阿弥陀寺 |
別称 | 別当寺(べっとうじ) |
文化財 | 十一面観音菩薩坐像(鎌倉時代末期) 阿弥陀如来立像(室町時代) ほか【重文】 |
浄土宗丈六山阿弥陀寺()は、和歌山県海南市下津町にある浄土宗の寺院。
山号は丈六山(じょうろくさん)。院号は寶藏院(ほうぞういん)。宗紋は月影杏葉(つきかげぎょうよう)。
総本山は浄土宗知恩院
本尊は阿弥陀如来立像。橘本王子社の別当寺(べっとうじ)の寺として知られる。
歴史
平安時代の長徳年間(995~999年)一条天皇の御代、藤原最盛期に比叡山横川恵心院の恵心僧都(源信僧都)が創建。【十一面観音菩薩坐像(鎌倉時代作)】
安土桃山時代の慶長3年(1598年)上譽安養が開基【阿弥陀如来立像(室町時代作)】。
享保4年(1719年)重譽秀威が本堂再建。
室町期には王子社の別当寺.関所として
江戸期には 檀那寺として寺受証文.寺受制度.親受制度.頼母子講を取り入れる。
境内
室町時代 の永享9年(1437年)2月22日と書かれた棟札が明治末期に境内古木置き場より紛失。大正年間に橘本神社が創建され、王子社の棟札が合祀されている。【和歌山県聖蹟上巻】
鰐口 現在 阿弥陀寺本堂正面に掲げています。(棟札紛失にともない長期間 長保寺資料館に預ける)。
法皇御幸の時 この境内から「橘の本に一夜の旅寝して入佐の山の月を見るかな」の歌を詠まれたとされます。
丈六山(六本樹の丘) 本堂裏の山号由来の山。『古事記』『日本書紀』(記紀)では、田道間守が垂仁天皇の命を受け、常世の国より非時香菓(みかんの原種.橘)八竿八縵持ち帰り、陵墓に半分、残りを大后を通じて現在の奈良県明日香の橘寺に植えた..と書かれておりますが、明治30年(1897年)現在の橘本神社神職の曾祖父が 丈六山を六本樹の丘と命名(田道間守が持ち帰った橘を丈六山に植えたとされました)。
主な行事
春彼岸法要 永代経法要 施餓鬼法要 棚経 水子地蔵盆 秋彼岸法要
参考文献
- 紀州藩『紀伊国続風土記』 著者:仁井田好古。『和歌山県聖蹟』紀元2600年奉祝会和歌山県支部編。
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