洪清泉
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/14 14:40 UTC 版)
| 洪清泉 四段 | |
|---|---|
| 名前 | 洪清泉 |
| 生年月日 | 1981年12月30日(43歳) |
| プロ入り年 | 2009年 |
| 出身地 | 韓国済州 |
| 所属 | 関西棋院 |
| 段位 | 四段 |
洪 清泉(ほん せいせん、1981年12月30日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士、四段。韓国済州出身。本名は洪 マルグンセム(ホン マルグンセム、韓国語: 홍 맑은샘)[1][2]。2019年9月より休場。株式会社GOMARUの代表取締役[2]。
「洪道場」を主宰し、多くのプロ棋士を送り出している。
経歴
囲碁愛好家の父から指導を受け、3歳で囲碁を始める[3]。棋士に育てることを目指した父からは、幼稚園に通わせず、友達と遊ぶことも禁じるなど厳しい指導を課された[3][注 1]。その後、韓国のアマチュア全国大会で優勝18回、準優勝9回の実績を残すなどアマ強豪として名を馳せたが[5]、その一方で、6回にわたって挑んだ韓国棋院の入段試験ではプロ入りは果たせなかった[4]。学業などよりも囲碁を優先する生活が続き、その頃は囲碁が嫌いであったという[3]。
2000年、世界アマ囲碁選手権の韓国代表[注 2]として仙台を訪れた際に、「囲碁嫌い」に変化が訪れる[3]。世界各国の選手と触れ合い、囲碁を通じて多くの人と繫がれることを実感[3]。独学で日本語の勉強も始める[3]。更に2002年、飛騨高山で開催された世界アマ囲碁選手権[注 2]で、緑星囲碁学園を主宰する菊池康郎に会ったのが転機となった[3]。菊池との会話を通して「菊池先生のようになりたい」と考えるようになり、子ども教室を開きたいというかねてからの思いもあって、日本へ渡ることを決意[6]。2004年に韓国を離れて日本に移住し、2005年から洪道場を始める[6]。
移住初年の2004年には、鳳凰杯プロアマオープンでプロ棋士らを下して優勝。決勝戦では坂井秀至に勝利している。2007年に第2回朝日アマ名人戦、2008年には第58回アマ本因坊戦で優勝。2009年、第5回産経プロアマトーナメント戦でも決勝戦まで進出し、結城聡に敗れたものの準優勝。2009年10月26-27日、関西棋院の試験碁で2連勝、研修棋士として12月1日付での入段が決定された[7]。プロ入りを機に、読みやすく親しみを持ってもらえるように「洪清泉」という呼称を用いる[1]。
2012年には第38期名人戦で最終予選に進出し、これにより正棋士へ昇格[8]。
2015年に第40期棋聖戦でCリーグ入り、その後第42期まで残留。2016年、第42期天元戦で自身初の七大棋戦本戦進出(1回戦で自身の教え子でもある芝野虎丸に敗退)。2017年、第43期天元戦で本戦ベスト16(2回戦で大橋成哉に敗退)。
2019年9月1日より棋士対局を休場[9]。洪道場の主宰者として東京を活動の拠点に置きながら、手合の際には前日夜に関西棋院へ新幹線で向かい、手合日の夜に再び東京に戻るという生活を送っていたが、そうした移動時間も道場での指導を続ける中で惜しくなった[4][6]。日本の囲碁の人気の衰えに危機感を覚え、事実上棋士を引退する覚悟で普及活動に専念するとしている[9]。
棋歴
- 1993 - 1997年 韓国棋院院生として修行
- 2004年 鳳凰杯プロアマオープン優勝
- 2007年 朝日アマチュア囲碁名人戦 優勝
- 2008年 全日本アマチュア本因坊戦 優勝
- 2009年 産経プロアマトーナメント戦準優勝、同年入段
- 2013年 二段
- 2016年 三段
- 2019年 四段
洪道場
来日後、2005年に市ヶ谷のマンションで開設し、2013年に杉並区内の一軒家に移る[6]。日本は木谷道場以来、菊池康郎が主宰する緑星囲碁学園しか専門的な道場がなかったが、それ以来の存在として2016年の時点で約30人の子どもたちが通い[5]、2025年の時点で32名の棋士を輩出している。2016年のインタビューでは、「死ぬまでに、道場出身の棋士100人を達成したい」と語っている[6]。
この中には、国際タイトルで優勝した一力遼など宋光復九段門下の子どもたちのほか、史上最年少の19歳で名人位に就いた芝野虎丸、女流タイトル24期獲得の藤沢里菜ら、多くの実力派棋士が含まれる。平成四天王の張栩・山下敬吾・羽根直樹の子どもたちもこの道場で修業していた[5]。
洪には囲碁の勉強を苦痛に感じて棋士への道から外れてしまったという経験があったため、公園やボウリングに連れて行ったり、他のボードゲームで遊んだりするなど、囲碁だけの生活にならないような配慮を心掛けているという。詰碁もチームを組んで競わせたり、賞品にお菓子を出すなど、常にメリハリをつけ子どもたちに飽きさせないことを重視しているという[6]。
出身棋士
洪道場のホームページ[10]による。洪と正式な師弟関係は持っていない棋士も含む。
| 棋士 | 入段 | 段位 | 生年 | 齢 | 実績 | 外部 リンク |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 平田智也 | 2009年 | 八段 | 1994年 | 31 | 2022年阿含・桐山杯優勝、2019年若鯉戦 優勝など | [11] |
| 藤沢里菜 | 2010年 | 七段 | 1998年 | 27 | 2020年若鯉戦 優勝、2022年天元戦 本戦ベスト8、名誉女流三冠など | [12] |
| 出口万里子 | 2010年 | 二段 | 1991年 | 34 | [13] | |
| 一力遼 | 2010年 | 九段 | 1997年 | 28 | 2024年応氏杯優勝、七大タイトル四冠、タイトル獲得数で歴代10位など | [14] |
| 宮本千春 | 2011年 | 初段 | 1994年 | 31 | [15] | |
| 風間隼 | 2012年 | 四段 | 1991年 | 34 | 2024年日本棋院常務理事 | [16] |
| 姚智騰 | 2012年 | 六段 | 1998年 | 27 | 2023年新人王戦 準優勝、2018-19年竜星戦 2年連続ベスト8など | [17] |
| 新井満涌 | 2013年 | 初段 | 1994年 | 31 | [18] | |
| 小山空也 | 2013年 | 七段 | 1996年 | 28 | 2024-25年本因坊戦 2年連続本戦進出、2024年十段戦 本戦進出など | [19] |
| 呉柏毅 | 2014年 | 六段 | 1996年 | 29 | 2016年ゆうちょ杯 優勝、2024年王座戦 本戦ベスト8など | [20] |
| 金子真季 | 2014年 | 二段 | 1995年 | 30 | [21] | |
| 芝野虎丸 | 2014年 | 九段 | 1999年 | 26 | 2019年最年少七大タイトル(名人)、最年少九段、最年少三冠など | [22] |
| 小池芳弘 | 2015年 | 七段 | 1998年 | 27 | 2019年新人王戦 準優勝、2024-25年本因坊戦 2年連続本戦ベスト8など | [23] |
| 芝野龍之介 | 2016年 | 三段 | 1997年 | 27 | 2015年全日本アマチュア本因坊決定戦全国大会 優勝など | [24] |
| 伊了 | 2017年 | 四段 | 2000年 | 25 | [25] | |
| 岩田紗絵加 | 2017年 | 初段 | 1997年 | 28 | [26] | |
| 武井太心 | 2018年 | 三段 | 2001年 | 24 | [27] | |
| 五藤眞奈 | 2018年 | 初段 | 2001年 | 23 | [28] | |
| 池本遼太 | 2018年 | 四段 | 2001年 | 24 | [29] | |
| 福岡航太朗 | 2018年 | 七段 | 2005年 | 19 | 2024年竜星戦 優勝、2025年名人戦リーグ 6勝2敗で勝率1位など | [30] |
| 大須賀聖良 | 2019年 | 三段 | 2004年 | 21 | (2025年6月7日死去) | [31] |
| 三浦太郎 | 2020年 | 四段 | 2004年 | 21 | 2024年新人王戦 優勝、2025年テイケイグループ杯俊英戦 優勝など | [32] |
| 曽富康 | 2020年 | 三段 | 2003年 | 22 | [33] | |
| 濱角響 | 2021年 | 二段 | 2001年 | 24 | [34] | |
| 日野勝太 | 2022年 | 二段 | 2005年 | 20 | [35] | |
| 蕭鈺洋 | 2023年 | 三段 | 2006年 | 19 | 2025年新人王戦 優勝 | [36] |
| 栁原咲輝 | 2023年 | 二段 | 2010年 | 15 | [37] | |
| 桑原樹 | 2023年 | 二段 | 2008年 | 17 | 2025年名人リーグ入り(史上最年少) | [38] |
| 加藤優希 | 2023年 | 初段 | 2002年 | 23 | [39] | |
| 陳柏劭 | 2024年 | 初段 | 2003年 | 19 | [40] | |
| 高山希々花 | 2024年 | 初段 | 2010年 | 14 | [41] | |
| 小幡みのり | 2025年 | 初段 | 2011年 | 14 | [42] |
その他の活動
- 2010年より、毎年3月に韓国を訪れて「マルグンセム子ども最強戦」を開催している[4][43]。
- 2023年には、囲碁普及のために株式会社GOMARUを創立[3]。各種イベントの開催やサポート、囲碁ポータルサイトの運営などを行っている[44]。2025年にはNPO法人「洪道場囲碁普及会」も設立。普及や技術の継承、それに伴う社会貢献等を目的としている[45]。
著書
- 洪清泉名義
- 碁が強い人はどのように上達してきたか? ―プロ15人を輩出する洪道場の教え― (マイナビ出版、2017年11月24日)
- 囲碁の兵法 迷うことなく急所に手がいく基本戦略(マイナビ出版、2019年12月23日)
- 洪道場名義
- 洪道場秘伝問題集(マイナビ出版、2015年11月25日。一力遼、藤沢里菜監修)
- 進化を続けるアルファ碁 最強囲碁AIの全貌(マイナビ出版、2017年6月14日)
- 洪道場のAI定石辞典(朝日出版社、2020年8月3日、監修名義。小池芳弘、山田真生著)
脚注
注釈
出典
- ^ a b “師範の紹介”. 洪道場ホームページ. 2022年1月28日閲覧。 「マルグンセム」は「清い泉」を意味し、古代韓国語に由来するため漢字表記は存在しない。
- ^ a b “会社概要”. 株式会社GOMARU. 2024年4月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “洪道場主宰/株式会社GOMARU 洪 清泉さん(前編)”. KUMON (2025年9月19日). 2025年11月11日閲覧。
- ^ a b c d “囲碁:「日本最高のプロ棋士育成家」として脚光浴びる洪清泉四段”. 朝鮮日報 (2023年2月26日). 2025年11月11日閲覧。
- ^ a b c “일본서 명문도장 운영…홍맑은샘의 반상 스토리”. baduk.netmarble.net. 2019年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e f 囲碁が強くなる子の特徴とは──囲碁道場主宰 洪清泉二段に聞く NHKテキスト View
- ^ “囲碁元アマ名人の洪さん、27歳でプロ棋士に 関西棋院”. 朝日新聞デジタル (2009年10月27日). 2022年11月1日閲覧。
- ^ “洪初段も正棋士に”. 朝日新聞デジタル (2012年6月5日). 2022年11月1日閲覧。
- ^ a b “洪清泉四段が長期休場 芝野ら育てた棋士、囲碁の普及に専念”. 朝日新聞デジタル (2019年9月2日). 2019年11月19日閲覧。
- ^ “洪道場出身棋士の紹介”. 洪道場ホームページ. 2022年1月28日閲覧。
- ^ 平田智也
- ^ 藤沢里菜
- ^ 出口万里子
- ^ 一力遼
- ^ 宮本千春
- ^ 風間隼
- ^ 姚智騰
- ^ 新井満涌
- ^ 小山空也
- ^ 呉柏毅
- ^ 金子真季
- ^ “芝野虎丸
- ^ 小池芳弘
- ^ 芝野龍之介
- ^ 伊了
- ^ 岩田紗絵加
- ^ “武井太心”. 日本棋院. 2019年11月27日閲覧。
- ^ “五藤眞奈”. 日本棋院. 2019年11月27日閲覧。
- ^ “池本遼太”. 日本棋院. 2019年11月27日閲覧。
- ^ “福岡航太朗”. 日本棋院. 2019年11月27日閲覧。
- ^ “大須賀聖良”. 日本棋院. 2019年11月27日閲覧。
- ^ “三浦太郎”. 日本棋院. 2022年1月29日閲覧。
- ^ “曽富康”. 日本棋院. 2022年1月29日閲覧。
- ^ “濱角響”. 日本棋院. 2022年1月29日閲覧。
- ^ “日野勝太”. 日本棋院. 2022年1月29日閲覧。
- ^ “蕭鈺洋”. 日本棋院. 2025年5月5日閲覧。
- ^ “栁原咲輝”. 日本棋院. 2025年5月5日閲覧。
- ^ “桑原樹”. 日本棋院. 2025年5月5日閲覧。
- ^ “加藤優希”. 日本棋院. 2025年5月5日閲覧。
- ^ “陳柏劭”. 日本棋院. 2025年5月5日閲覧。
- ^ “高山希々花”. 日本棋院. 2025年5月5日閲覧。
- ^ “小幡みのり”. 日本棋院. 2025年5月5日閲覧。
- ^ ““한국바둑, 뭉치면 다시 세계 1위될 저력 있어””. www.cyberoro.com. 2019年1月11日閲覧。
- ^ “各事業詳細”. GOMARU. 2025年11月11日閲覧。
- ^ “洪道場囲碁普及会”. NPO法人ポータルサイト. 内閣府. 2025年11月11日閲覧。
外部リンク
- 関西棋院による洪清泉の紹介ページ
- 洪道場ホームページ
- 株式会社GOMARU
- 洪道場@洪マルグンセム (@hongdojo) - X
- 洪道場@囲碁【公式】 (@Hondojo_O) - X
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