津田信澄 (尾張藩)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 00:59 UTC 版)
![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2014年5月) ( |
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 元文4年(1739年) |
死没 | 寛政7年(1795年) |
改名 | 志水友吉、津田信澄 |
別名 | 新十郎(通称) |
主君 | 徳川宗睦 |
藩 | 尾張藩士(尾張衆) |
氏族 | 志水氏→津田氏(岩倉織田氏庶流) |
父母 | 父:志水忠梁、養父:津田信栄 |
子 | 信寧 |
津田 信澄(つだ のぶすみ)は、江戸時代中期の尾張藩士。家紋は織田木瓜。
略歴
元文4年(1739年)、志水忠梁の七男として誕生した。岩倉織田氏の系統津田信栄の養嗣子として家督相続(500石、普請組寄合)。御先手御足軽頭、御歩行頭となる。
寛政7年(1795年)、嫡子の信寧に家督を譲り隠居、まもなく病没する。享年57。
脚注
参考文献
- 『士林泝洄』
- 『藩士名寄』
- 津田信澄_(尾張藩)のページへのリンク