津田信綜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 03:12 UTC 版)
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2014年5月)
|
|
|
---|---|
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 元禄10年(1697年) |
死没 | 享保19年7月18日(1734年8月16日) |
改名 | 盛昌、新十郎、六郎兵衛、金十郎、信綜 |
主君 | 徳川継友→宗春 |
藩 | 尾張藩士(尾張衆) |
氏族 | 津田氏 |
父母 | 父:津田信明 |
兄弟 | 信綜、吉原甚太夫仲治室 |
子 | 養子:信栄 |
津田 信綜(つだ のぶふさ?)は、江戸時代中期の尾張藩士。家紋は織田木瓜。
略歴
正徳3年(1713年)、父が病気により隠居し、家督相続する(1000石、普請組寄合)。享保10年(1725年)、大番頭となる。
嫡子がなく、妹の子・信栄を養嗣子として家督相続させた。
脚注
参考文献
- 『士林泝洄』
- 『藩士名寄』
- 津田信綜のページへのリンク