油ヶ淵の形成と新川の開削
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 07:42 UTC 版)
「高浜川 (愛知県)」の記事における「油ヶ淵の形成と新川の開削」の解説
油ヶ淵と衣浦湾をつなぐ二つの河川、高浜川と新川は人工的に開削された河川である。1600年頃までは、現在の油ヶ淵付近までが北浦と呼ばれる西海(現在の衣浦湾)の入江だったが、矢作川からもたらされる大量の土砂によって入江が埋まり、北浦が閉塞して正保4年(1644年)に現在の油ヶ淵が形成された。油ヶ淵が形成されると、稗田川・長田川・高取川・半場川(と支流の朝鮮川)がことごとく油ヶ淵に流入するようになったが、新田に利用する灌漑用水路以外には流出する河川がなかったため、大雨のたびに油ヶ淵が溢れて水田に浸水した。このため、現在の蜆川に相当する排水路が掘られたが、さらに新田開発が進んで1本の排水路だけでは追いつかなくなったため、元禄14年(1701年)に排水路の建設が計画され、宝永2年(1705年)、現在の新川に相当する河川が開削された。
※この「油ヶ淵の形成と新川の開削」の解説は、「高浜川 (愛知県)」の解説の一部です。
「油ヶ淵の形成と新川の開削」を含む「高浜川 (愛知県)」の記事については、「高浜川 (愛知県)」の概要を参照ください。
- 油ヶ淵の形成と新川の開削のページへのリンク