池田研池
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池田 研池(いけだ けんち、生年未詳 - 1937年以降)[1]は、尾崎紅葉らの硯友社同人。工学士。本名賢太郎[1]。別号・瓢亭木栗子(ひょうていぼくりつし)、氷山[1]。瓢亭木栗子は『瓢箪ぼっくりこ』のもじりか。『ぼっくりこ』は中が空洞のものを打ったときの音を表す語[1]。
経歴
明治18年(1885年)5月尾崎紅葉が『我楽多文庫』筆写回覧本第一集から連載した初期の滑稽紀行文『江嶋土産滑稽貝屏風』によると明治17年(1884年)7月に石橋思案、紅葉、研池で江ノ島へ旅行した[1]。
明治19年(1886年)11月『我楽多文庫』活版非売本発行時同人の六人のうちの一人[1]。
後、陸軍省勅任技師となり、明治43年(1910年)には香港、安南(ベトナム)、シンガポールへ派遣されている[1]。
昭和5年(1930年)から朝鮮建築会二代目会長。昭和12年(1937年)11月時点では存命だった[1]。
作品
研池の作品は非売本第九集(明治19年)と公売本第一号(明治21年)に狂句二句と落語一席のみ[1]。
脚注
参考文献
- 翰林書房『尾崎紅葉事典』
- 池田研池のページへのリンク