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江戸千太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/17 17:05 UTC 版)

江戸 千太郎(えど せんたろう、1884年5月17日[1]1938年4月7日[2])は、日本の外交官

略歴

福井県三方郡三方町横渡、江戸勘四郎家の長男として出生。

1904年(明治37年)3月、旧制小浜中学校卒業、明治40年度に早稲田大学高等師範部歴史地理科[3]を卒業し、さらにその翌年に東京帝国大学選科(国史)を卒業し、旧制志布志中学校、旧制水戸中学校に教諭として勤務する[4]

1918年(大正7年)、外交官補試験に合格、外務省入省。1919年(大正8年)領事館補。1925年(大正14年)より領事として青島漢口(中国)、リバプール(イギリス)、バンクーバー(カナダ)等に勤務。1931年(昭和6年)より外務省文化事業部第二課長、第一課長兼文部書記官歴任。

1935年(昭和10年)、ハンブルク(ドイツ)総領事。1938年(昭和13年)4月、天津(中国)総領事に赴任することとなっていたが、ドイツベルリンからブレーメンに向かう途中、交通事故により死去[5]

浜中の同級生に三宅正三(大阪市助役)、遠藤常寿(神戸地検検事正)、杉生糺名古屋高裁長官)、名和克郎らがいる。

著書

  • 受験者の覚え易き日本地理
  • 受験者の覚え易き日本歴史
  • 受験者の覚え易き西洋歴史

脚注

  1. ^ 『遺徳顕彰故人年鑑 第1輯 昭和14年』(大日本頌徳会編纂部、1939年)p.130
  2. ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』(日外アソシエーツ、1983年)p.83
  3. ^ 『會員名簿』(早稲田大学校友会、1928年)p.631
  4. ^ 『遺徳顕彰録 第3輯 昭和17年』(大日本頌徳会、1942年)p.130~134
  5. ^ 『遺徳顕彰故人年鑑 第1輯 昭和14年』(大日本頌徳会編纂部、1939年)p.132

参考文献

  • 浜中校友会誌[要文献特定詳細情報]
  • 青戸[要文献特定詳細情報]
  • 毎日新聞[要文献特定詳細情報]
  • 福井新聞[要文献特定詳細情報]



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