江口聡一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 17:18 UTC 版)
くふうハヤテベンチャーズ静岡 #64 | |
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 北海道札幌市清田区 |
生年月日 | 2003年11月12日(21歳) |
身長 体重 |
175 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2025年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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江口 聡一郎(えぐち そういちろう、2003年11月12日 - )は、北海道札幌市のプロ野球選手(外野手)。右投右打。くふうハヤテベンチャーズ静岡所属。
経歴
札幌市立真栄小学校1年次に真栄ビクトリーで野球を始めた。
札幌大谷中学校では札幌大谷リトルシニアでプレーした。
北海高等学校では高校2年の6月に右胸郭出口症候群になり7月に手術をし50kgあった握力は8kgまで下がり右手で箸を持てないほどになった[1]。7月に手術をしてから県秋季大会よりスタメンを勝ち取った。秋季大会では万全ではなかったが人生初アーチを含む打率.364を記録し第93回選抜高等学校野球大会への出場に貢献した[2]。特に決勝の旭川実業高等学校戦では田中楓基から本塁打を放ちそれが決勝点となった[3][4]。3年夏の県大会中にはパニック症候群を引き起こし日常生活も困難な状態に陥るが病院で処方された薬を服用しながら出場した第103回全国高等学校野球選手権大会で1安打を放った。2学年上に辻本倫太郎、同級生に木村大成、大津綾也がいた。
日本大学に進学する[5]がパニック症候群が治まらず2年春に退部した。
1年間野球からは離れていたが北海高校の同級生だった宮下朝陽が大学日本代表に選ばれるなどして野球への思いが再燃し発足直後の軟式チーム・東京ユニコーンに入団した[6]。2024年に入り硬式のホグレルベースボールクラブでも本格的に練習を再開した[7]。
前年よりウエスタンリーグに参入したくふうハヤテベンチャーズ静岡のトライアウトに参加し、フリー打撃で3発の柵越えを放ち[8]、2024年12月16日に入団が発表された[9]。背番号は64[9]。
脚注
- ^ “北海コールドで4強 手術から復帰の江口が人生初弾”. 日刊スポーツ (2020年10月8日). 2025年2月5日閲覧。
- ^ “【北海道】北海・江口聡一郎が人生初さく越えで4強進出に貢献”. スポーツ報知 (2020年10月9日). 2025年2月5日閲覧。
- ^ “北海・江口「甲子園でも」佐藤輝明参考に1発誓う”. 日刊スポーツ (2021年3月16日). 2025年2月5日閲覧。
- ^ “北海・江口「木村を早く楽に」“一発回答”のV弾”. 日刊スポーツ (2020年10月11日). 2025年2月5日閲覧。
- ^ “大学野球】日大が来春入部予定者39人を発表 関東第一の152キロ右腕・市川祐ら”. スポーツ報知 (2021年12月8日). 2025年2月5日閲覧。
- ^ “北海高で春夏甲子園出場の江口聡一郎がくふうハヤテ入り パニック症候群と向き合いながらNPB目指す”. 道新スポーツ (2024年12月29日). 2025年2月5日閲覧。
- ^ “北海高野球部OBの江口聡一郎が病を乗り越えくふうハヤテに入団「NPBは自分の中で1つの夢」…新天地へ駆ける”. スポーツ報知 (2024年12月29日). 2025年2月5日閲覧。
- ^ “北海出身・江口くふうハヤテ入り パニック障害乗り越えNPBへ「結果を残せば、ドラフトにかかる道」”. スポニチ (2024年12月29日). 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b “新入団選手のお知らせ”. ハヤテ223株式会社 (2024年12月16日). 2025年2月4日閲覧。
関連項目
- 江口聡一郎のページへのリンク