永原松雲とは? わかりやすく解説

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永原松雲

武将。字任斎、号十万院。柴田勝家織田信長仕えて後に浅野幸長幕臣となる。和歌連歌能くする寛永15年(1638)歿、93才。

永原松雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 17:57 UTC 版)

 
永原 松雲
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 不明
死没 寛永15年(1638年
改名 重高→松雲(号)
別名 十方院(実報院)松雲
主君 三好氏丹羽長重浅野幸長
氏族 永原氏
特記
事項

子孫[要出典]

  • 永原誠(立命館大学名誉教授)
  • 永原敏夫(広島高等師範学校英語教授。広島原爆投下時、留学生とともに被爆)
  • 永原整造 幟町小学校校長 長男 永原幹彦 化学染料研究者
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永原 松雲(ながはら しょううん)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将儒学兵法和歌などに通じていたという。

略歴

はじめ三好氏に仕え、後に丹羽長重に仕える。丹羽家での禄は千石とも二千石とも言われる。同僚の南部無右衛門と仲が悪く、ある諍いがもとで南部が襲いかかってきた際は柔術で軽くいなした。 しかし、後の浅井畷の戦いでは南部が活躍し、松雲は名を落としたという。

丹羽家改易後は浅野幸長に七百石で仕えた。

出典

  • 『丹羽歴代年譜 家臣伝』


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