水谷山普賢寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 00:22 UTC 版)
古くより養父郡の一之宮が養父神社であり、同郡の総寺が満福寺として崇敬され、中世以降神仏習合して両社寺は渾然一体とした関係にあったため、弘融上人は養父神社の別当寺である普賢寺(但馬国養父郡 水谷山普賢寺)の第17世住職も兼任した。普賢寺の本尊は薬師如来で、明治維新後の神仏分離令により寺院が廃止されて養父神社単独となり、仏教関連の寺物は満福寺に移管されたが、普賢寺の建物の一部は現在の養父神社の社務所として使用されている。
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