氏家親定とは? わかりやすく解説

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氏家親定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/20 08:14 UTC 版)

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氏家親定
時代 江戸時代前期
生誕 文禄4年(1595年
死没 寛永15年4月12日1638年5月25日
別名 通称:隠岐、左近
主君 最上義光家親義俊毛利秀就
山形藩長州藩
氏族 氏家氏
父母 父:氏家光氏
就棟

氏家 親定(うじいえ ちかさだ)は、江戸時代前期の長州藩士。始め最上氏家臣、後に毛利氏家臣となる。

生涯

文禄4年(1595年)、最上氏の宿老である氏家光氏の子として誕生。

元和8年(1622年8月21日に最上氏が改易されると、親定は父・光氏と共に毛利氏に預けられ、長州藩へ移り住む。寛永2年(1625年8月13日には毛利秀就から周防国吉敷郡恒富村[1]に500石を与えられて、毛利氏家臣となった[2]

寛永15年(1638年4月12日に44歳で死去。子の就棟が後を継いだ。

脚注

  1. ^ 現在の山口県山口市黒川。
  2. ^ 閥閲録』巻91「氏家与三左衛門」第1号、氏家親定宛て 益田元祥清水景治・志道元兼連署御配所付立。

参考文献




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