母里武兵衛とは? わかりやすく解説

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母里武兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 10:16 UTC 版)

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母里 武兵衛
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 永禄12年(1569年
主君 黒田職隆黒田孝高
氏族 母里氏
父母

父:母里小兵衛

母:母里能登守の娘
兄弟 雅楽助義時
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母里 武兵衛 (もり ぶへえ、生年不詳-1569年)は、戦国時代武将黒田家家臣である[1]

略歴

永禄12年(1569年)、黒田氏赤松政秀との間で起きた青山・土器山の戦いにおいて、先の戦で傷を負い満身創痍であった武兵衛は「これ程の傷を負ったものに出撃せよとは死ねということか」官兵衛に反駁したが、「おそらくそうなるだろう」とだけ返された[2]。武兵衛は先頭を切って赤松軍に突撃し、奮戦の末、7本の槍で貫かれ討ち死にした[3]

脚注

  1. ^ 黒田家譜
  2. ^ 青山・土器山の戦い
  3. ^ 青山・土器山の戦い

参考文献

  • 黒田家譜-第一巻(1982)
  • 青山・土器山の戦い(川村一彦、4p)

関連項目




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