武蔵小田切氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:00 UTC 版)
『風土記稿』豊島郡条に「小田切将監、慶長年間に正光寺を開基せし由」を載せ、また橘樹郡条に「獅子谷村小田切屋敷跡。村の西によれり、廣七段ばかり此処を殿屋敷とも、また殿山とも唱える。この地は慶長年中まで、小田切美作守久しくここに住むが、召し出され、即ちここを知行し、後江戸へ移りしころ、今の里正が先祖に、かの屋敷の内を少しばかり除地になしあたえしと言い伝える」とある。橘樹郡の獅子谷村とは、現在の横浜市鶴見区獅子ケ谷にあたり、小田切光猶または小田切須猶(美作守)屋敷と詰城の獅子ヶ谷城があったとされる。また、小田切氏から屋敷の一部を与えられた里正とは名主の横溝氏のことで、横溝屋敷が現在も残っている。
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