武周期の公主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:50 UTC 版)
病気がちな高宗に代わって母の武則天が垂簾政治を執り始めると、その相談役として武則天政権の一翼を担う。やがて690年、母は皇帝に即位し、武周を建てる。公主も母の側近として隠然たる勢力を持った。母が病に倒れた後、その愛人であった張易之・張昌宗兄弟が専横を極めたため、705年、張兄弟を倒し、兄の中宗を即位させることに成功し、皇族中の重要人物として名を高める。鎮国太平公主の号に尊封された。
※この「武周期の公主」の解説は、「太平公主」の解説の一部です。
「武周期の公主」を含む「太平公主」の記事については、「太平公主」の概要を参照ください。
- 武周期の公主のページへのリンク