正源寺 (市川市)とは? わかりやすく解説

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正源寺 (市川市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/09 08:19 UTC 版)

正源寺
所在地 千葉県市川市河原3-6
位置 北緯35度41分56.9秒 東経139度55分14.7秒 / 北緯35.699139度 東経139.920750度 / 35.699139; 139.920750座標: 北緯35度41分56.9秒 東経139度55分14.7秒 / 北緯35.699139度 東経139.920750度 / 35.699139; 139.920750
山号 十方山
院号 摂取院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 文安元年(1444年
開山 正源
札所等 行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所第7番札所
法人番号 2040005004164
正源寺
正源寺 (千葉県)
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正源寺(しょうげんじ)は、千葉県市川市にある浄土宗寺院

歴史

1444年文安元年)、正源によって開山された。正源は下総国葛飾郡八幡村(現・千葉県市原市八幡)の出身で、現在の東京都江戸川区金蔵寺出家した。その後、当寺の起源となる草庵を結んだ。その後、慶長年間(1596年 - 1615年)に源長によって中興された。源長は地元の行徳出身で観智国師慈昌の法統に属しており、観智国師は徳川家康に協力を要請し中興したものである[1][2]

当寺には弁財天が安置されている。智証大師円珍の作と伝えられている。この弁財天は開山以来秘仏であり、もし開帳したら目が潰れるといわれており、「盲目弁天」の異名を持つ。秘仏であったが、江戸時代は多くの人々の信仰を集めたという[1][2]

現在の本堂は、幕末期に再建された弁天堂である。開山以来何度も火災等の災難に遭い、その都度再建されたが安政の大地震で倒壊した。そして遂に本堂は再建されることなく、弁天堂を本堂にすることになった[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 宮崎長蔵、綿貫喜郎 著『行徳物語』市川新聞社、1977年、171-172p
  2. ^ a b c 正源寺浄土宗千葉教区

参考文献

  • 宮崎長蔵、綿貫喜郎 著『行徳物語』市川新聞社、1977年



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