樟磐手とは? わかりやすく解説

樟磐手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/07 02:03 UTC 版)

樟 磐手(くす の いわて[1])は、飛鳥時代の人物。姓(カバネ)は使主672年壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)のために吉備国の軍を興す使者に立ち、国守の当摩広島を殺した。


  1. ^ 旧仮名遣いでの読みは「くすのいはて」。
  2. ^ 『日本地理志料』
  3. ^ 日本書紀』天武天皇元年6月26日条


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