桑津環濠集落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 06:09 UTC 版)
桑津一帯は17世紀前半、大坂夏の陣で激戦地となったこともあり、それから住民たちは四方に環濠を掘り、夜間は木戸を閉め、域内の道路は狭くて見通しが効かないように工夫して、外部からの侵入者を惑わせる町(環濠集落)を築いた。環濠は昭和初期まで存在し、現在は道路として埋め立てられたが、その名残りは現在でも、互い違いの四辻や狭隘な街路として今に偲ばせている。また、バス停の停留所名で、北口・東口・西口・南口と揃っているのは、日本全国で桑津のみである。
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